5月3日:松尾鉱山跡
 
 

八幡平観光ホテル前5月2日、そこから今回の旅行は始まっていた。5月2日の15:00くらいだろうか、トラブルが発生した。原因を解析するうちに、対処として夜中の2:00~4:00の間に作業をしなくてはならないことが分かった。それも作業場所は、成田の方である。「えぇ?明日の岩手行きは大丈夫か!?」なんてことが脳裏を横切るのであった。

『課長、私明日の7:00までに東京駅へ行くんですが・・・』思い切って課長に話をすると、朝の6:00くらいまで待機していれば、別作業の方が対応してくれるとのこと。「よかった・・・」どうやら明日の企画はキャンセルとならずに済みそうである。

すぐさま自宅へと戻り、鞄へ荷物を詰め込んで成田方面へと行くのであった。そして、現地へと5月3日の0:30頃到着をして、5時間後の6:00位に東京駅へと向かうのであった。ね、眠い・・・!

で、電車に揺られて3時間ほど、盛岡で2時間ほどバスを待って、八幡平へと2時間かけてやっと到着するのであった。やっぱり、旅行に電車とバスを使うと、「自分は旅行をしているぞ」という気分に浸らしてくれる。そんなわけで、何だかずいぶん遠くまでやって来たような気分がした。


 
上の写真が、「八幡平観光ホテル」で降りたところ。盛岡からの途中、桜は満開で雪山をバックに見る桜は、なかなか良いものであった。ここで育った人というのは、こういった景色に郷土を感じるのであろう、きっと。前日のトラブルとはうって変わって、のどかで平和な風景に、ふとなぜだか郷愁を感じるのであった。

昼過ぎに到着した僕らは、別にやることが無く、近くにある松尾鉱山跡へと行くことにした。バス停からは歩いて15分ほど。松尾鉱山跡、いったい何があるんだろうか?やはり鉱石なんかを運ぶトロッコとかがあるに違いない、なんてことを思いつつワクワク歩くのであった。

松尾鉱山跡、いわゆる廃墟になるのだが、この松尾鉱山跡を訪れることになって、事前にインターネットで廃墟というものを調べてみたところ、あるはあるは、廃墟のホームページが。結構廃墟フリークというのがいるんですね、巷には。

インターネットによって簡単に廃墟フリークを探せてしまうのだから、すごい世の中になったものだ。そんなことに改めて感心させられてしまった。


 
で、やって来た松尾鉱山。予想に反してトロッコなどはなく、ただ煙突と壁の無くなった建物があるだけであった・・・。廃墟デビューの自分としては、予備知識もなく、何だか古くなった建物があるなぁぐらいにしか思うことができないのであった。

 
いろいろ歩いてやって来た住居跡。ここは、鉱山に関するものはほとんど無く、単なる住居跡の廃墟といったところ。

昔は木造のアパートなんかもあって多くの人が住んでいたのだが、閉山された後は景観を損ねるということで木造のアパートは取り壊されて、鉄筋のアパートが残るのみとなったらしい。


 
 
しかし、アパート内の階段を上って驚いたのが突然現れた。天井があるのに、何でこんなに雪が積もっているのだろうか?冬は相当吹雪くのだろうか?

こんな寒ところで、働いていた昔の人は大変だなぁなんてしみじみ思うのであった。地元の人の話では、真冬で氷点下-10度以下にもなるらしい。これで、更に強風が吹き荒れれるのであるから、体感温度は相当なものであろう。以前、凍てつく風の中雪かきをしていたときにも思ったが、やはり住むのなら暖かい地方に限る。

 
フォトショップでちょいと加工このアパート内を歩いていて気付いたのが、下に散らばっているBB弾。こんなところで銃撃戦をやっているのかぁ、うーん懐かしい。昔エアガンが流行ったときに自分も購入したが、こんなところで銃撃戦をやったら面白いだろうなぁ。

こうしてみると廃墟というのも、場合によっては活用化できるのではないだろうか?ただほっぽてあるのではもったいない、サバイバルマニアにとってはこういったところでの銃撃戦はたまらないと思う。

商業化できないのであろうか。肝試しの場所としても良いと思う。かつて人が住んでいて生活臭があるだけに、怖さは十分である。まぁ、建物の老朽化から安全の保障はできないが・・・。


 
屋上にてこれが、勝手に登ったアパートの屋上。すでに柵はなく、はじに立つと柵がないことと、老朽化からかなりのデンジャラスを感じさせる。

ついに廃墟デビューを果たすことができた。別に切望していたわけでもないが、松尾鉱山の訪れはなかなか面白かった。友人に言わせるところ、どうも最近は廃墟フリークが急増中なのである。といっても、元々のマニアックぶりを考えると大した数にはならないと思うが・・・。

次回廃墟を訪れる機会はあるのだろうか?そんなことを思いつつ今後の廃墟フリークのホームページ訪問に期待!