ボランティアのススメ 会津訪問 + 助けのススメ@相馬市
時間を作っていかなければと思っていながら、この時期になってしまった被災地入り。本当は4月中に訪問しようと思っていたのだけれど…。5月も過ぎて6月、震災から早3か月だ。週末だけの活動となってしまうけど、ここを逃したらしばらくは日程調整つかずということで強引に訪問。

しかしながら、週末土曜日は雨にして一緒に行くツレが寝坊という状況のため初日は会津観光をすることにした。東京から福島って結構な距離だし、2人とも仕事が忙しくて連日午前様の日々。疲れた体に無理してボランティアしても、危ないし、よろしくないよねと。


東北道を北に向かうと途中よりこんな案内が。高速道路はガタガタの道というか波打つような起伏がちらほらと。



郡山ICで西に折れて行きつくは会津若松。初めての会津若松だよ。



会津若松と言えば飯盛山。



ん?電気紙芝居???



会津若松と言えば悲劇の白虎隊。



白虎隊や飯盛山が目的という訳ではなく。



途中にあるこちらの建物。今回の震災でも損傷することはなかったという。



そう、こちらのさざえ堂だ。前々から気になっていて、5年ぐらい温めてしまった企画だ。大した企画じゃないし、東京からは遠いからね…(なかなかに実現できんかった)。



お隣は、さざえ堂のチケット売り場。おばちゃんがテープレコーダーのように、さざえ堂の魅力を語る。『世界に類を見ない2重螺旋階段の造りです』だってさ(本当かな?)。



これが、さざえ堂の横から見た全景。



天皇も訪問したことがあるって。



さて、いざ、さざえ堂へと!



階段というよりも、坂道に滑り止めの木が設置してある造り。木の匂いを吸い込みつつ、ワシワシと登っていく。



ここが、さざえ堂てっぺんの天井だ。あっという間に到着。



頂上部からの眺めはこんな感じ。



頂上を通り抜けて、再び歩みを進めると、そのまま下りへと。あらら、不思議と元来た道を通らずに外へと出たよという次第。摩訶不思議にして面白い作りをしているのが、会津若松にあるさざえ堂なのだ。



さざえ堂の隣に五穀豊穣の神である宇賀神を祭る宇賀神堂。



ありゃ、灯篭の窓が月と桃だよ。



白虎隊の人かな。それと墓地。サクサクっと駆け抜ける。



普段はお土産って買わないのだけれど、今回は購入してみた。いつもより1品多めに購入してみよう的な感じ。



さざえ堂をさくさくっと終えてしまったので、酒屋の見学にでも。



が、酒造の見学時間は終わっているとのこと…。



とりあえず、店内ウロウロ。



そしたら、店長が2Fの見学は終了だけど1Fだったら見ていいよと。



800L近いタンクがずらりと。



仕込みの時期は終わっているのだけれど、東北の震災で酒蔵が被害を受けたために、こちらでお米を引き取って仕込みをするという。時期は過ぎているし、普段扱っているお米と成分も異なるということで、果たして上手くいくのやらという状況だそうな。



奥には小さな酒造りのアイテムギャラリーが。



昔の道具がずらりと。



■■■ 車を運転して、被災地へと現地入り ■■■


さて、会津若松の見学も終えて一路、相馬市へと。高速道路では被災地へ向かう自衛隊のジープがポツポツと。



高速を降りると、こんなのぼりがあちらこちらに。



ナビもなければギアもマニュアルというアナログな車で地図を片手に辿り着いた相馬市のボランティアセンター。明日はこちらで8時から受け付けが始まるという。テントを持参して駐車場で寝泊まりする予定だったけど、ビジネスホテルが営業していたので経済援助も兼ねてそこで宿泊。



早起きをして事前に購入していたパンをもぐもぐ、ボランティアセンターへと(ありゃ、8時でなく9時からなのか)。ちなみに、相馬市に限って言えば普通の状態であり、現地のレストランやコンビニで食事は全然問題なしであった。



ボランティア活動に関する注意事項がぺてぺたと。活動中に盗難事故が発生しているとのこと(悲しい限り…)。



7時30分に到着で早すぎたので(それでも5人ほどが既に並んでた!)、車で仮眠して再び向かったら、ずらりと!



本日集まった人たち。簡単な説明があってから、順に前の受付で手続きを済ます。受付を済ませると名前を書かれた付箋紙をもらい、壁に募集しているボランティアがあるので、希望のものに貼り付けるシステム。相馬市のボランティアセンターでは飲み物や軍手等が用意されていて、受け取ることができるようになっていた。



事前に安全長靴と防塵眼鏡を買って用意していたんだけど、本日の泥かき要員は2組だけとのことで、自分が向かったときには泥かきの募集終了。なので仮設住宅へ入った方々へ提供する物品仕分けチームへと配属された(あらら)。


ここでの作業は全国から集まった義捐の品々を開梱して展示するというもの。梱包されたままだと、被災の方々が中身を判断できないからね。自分は主に食器を開梱。ひたすら、箱から出してブルーシートの上に並べる。ここで『おぉ~』と評価を得たのが、食器をクッション材でくるんで、その上に中の食器写真を貼り付けたもの。これなら開梱が必要ないし、郵送から陳列、提供へとノンストップで作業を進めることができる!

ちなみに、使用済みの食器やフライパン等が送られていたが、できれば新品のものが望まれる。とくに食器なんかは数が沢山あるので、新品のものしか受け付けないという感じであった(引き出物なんかの食器がそのまま送られているもの多数)。使い終わった鍋やフライパンを洗いもせず送ってくる人がいるという。これはボランティアの方々が一生懸命洗ったそうだけど、酷すぎる話だ。受け取る人の気持ちをどのように考えて送っているのだろうか、いや、何も考えていないんだろうな。

仮設住宅は限られたスペースとのことで、本当に必要最低限のものしか皆さん持って帰っていなかった。食器以外もおむつや石鹸といった日用消耗品も提供していたんだけど、置く場所がないという。外出中や着の身着のままで家が流された方々は、本当に何もなくなってしまっており、狭い仮設住宅での生活では定期的な援助が必要なんだなと感じた。



ボランティア活動を終えて、相馬市の海側近辺を見学していくことにした。東京の立川から来ていたボランティアの方も、惨状を目にして現実を見ておいたほうが良いとおっしゃっていた。



被災後3ヶ月たって、そのままにしてある船。どこから流れ着いたのだか…。



海に出るとこの有様。引き潮で車やら家が海に引き込まれている。



ゴーストタウンの町は信号も消えたまま。



ぐにゃぐにゃに曲がった鉄骨が積み上げられていた。



こちらは、大きなタンクが無残にも破壊されている。



普通の家だと一階部分がごっそりと流されてしまっている。



大型の重機は流されて、乗用車はべこべこに。



海沿いの公園はごみが散乱。たぶん、これでも掃除された後なんだろうなぁ…。



海岸から100m以上離れた郵便局もこの有様。まさか公園を超えて津波がやってくるとは思ってもいなかったでしょうね。



さらに内陸に向かった地域もこの有様だ。



海そばの沼地(?)は、船の墓場と化している。



船が頭から突き刺さっている…。




◆◆◆まとめ
◆状況
相馬市の泥かきに限って言えば、ほぼ収束しているみたい。とはいっても、泥かきだけがボランティア活動な訳ではなく、他にも色々な援助を必要としているので、ピークを迎えたGW以降もボランティア活動は継続的に必要としている。被災直後はもちろん、以後も長い期間で必要とされるのが被災地への援助だ。
泥かきについては、友人の話によると6月16日時点、仙台の方ではまだまだ泥かきのニーズがあるとのこと。この辺は、ボランティアへ向かう前に現地最新の状況を得ておきたいところ。

◆活動内容
津波被害で泥かき作業が注目されるようになったが、自分が配属された物品仕分け以外に炊き出し、物品配送や送迎といったものまで内容は多岐に渡る。この辺も、現地でどのようなニーズがあるのかを把握しておきたいところ。
GW前にお笑いトークショーを観に行き、舞台の芸人が4月に気仙沼で泥かき体験してきたという話を聞いた。大人10人が1日作業をして1軒の家の作業が終わらないほど泥の量が半端ないという。また、泥の中から魚の死骸といったものも出てくるそうだ。防塵眼鏡、防塵マスクや安全長靴は必須とのこと。

◆事前準備
今回は泥かきを念頭に入れて、直前ながらドタバタ装備を揃えた。買い物に行く時間が全然なかったのだが、ネット通販できる世の中、深夜にポチポチっと購入(便利な世の中だ)。基本的には山行きの装備+被災地用アイテムといったところ。


マストアイテム
 1 防塵眼鏡 泥が跳ねることは当然あるだろうし、泥が乾燥して粉末も舞っているという。
 2 防塵マスク 粉塵が舞い、匂いもきついとのことで。いくつかの規格ものが推奨されているけど、自分は花粉症用のマスク。本格的なものを使用しても、息苦しくなってしまうし、なによりきちんと装着しないと規格ものも効果なし(だったら花粉症用でいいじゃんと)。
 3 ゴムつき軍手 完全ゴム手袋と迷ったけど、こちらの軍手を購入。
 4 安全長靴 堆積した泥の中には何が埋まっているか分からない状況。ゆるい泥を踏み抜いて危険物が入っていたら大変なことになってしまう。是非とも欲しいところ。
 5 作業着 汚れても良い長袖長ズボン。こちらはユニクロで揃えたんだけど、長ズボンは季節柄見当たらなく、ひざ下のものを購入。前日に、いつもより早く退社して購入。遅くまで営業しているのが助かる!
 6 水・食料 自分のことは自分でというのがボランティアの心構え。期間が長くなると相当量になってしまう(特に水)。でも、現地が復旧しているのなら、経済援助の面から現地消費が望ましい。
 7 ボランティア保険 自分のため、受け入れ側のため。現地でも加入可能な場所があるけど、現地の事務手続き負担軽減のためにも事前加入しておきたい。お値段¥600からとお安く年間有効で、被災地への移動から保険が適用される!

※結局、泥かきはせずして、アイテムの評価ができない…。以下、作業着以外は使わなかったアイテム。



ベターアイテム
 1 災害派遣等従事車両証明書 あれば高速代が無料になる。「受け入れ先からの要望書類」はもらったのだけれど、市役所に行く時間がなかった…。アナログな車で、もちろんETCもなし。レンタカーのほうが安くね?てなぐらい高速代がかかった。
 2 その他 後は、着替、ライトや帽子といった山に行くときに持っていくアウトドアグッズ。


◆◆◆感想
1.ボランティアセンター
今回、ボランティア活動準備をして驚いたのがボランティアセンターの迅速な対応。1つ目が受け入れ先の相馬市ボランティアセンター。高速代の無料を試みようと受け入れ要望書を依頼したのだが、即行でFAXを送ってくれた(その次の行動には移せなかったが)。2つ目が保険加入時。こちらも時間がなくて直前となったのだが、電話をすると懇切丁寧に対応してくれて、加入の受け入れをしてくれた。正直、この対応には驚いてしまった。このスピード感でもって、早い復興を願いたい。

2.継続的な援助
復興作業には大きく2段階あると思う。震災直後から衣食住の最低限確保と、元の生活レベルまで戻すこと。自分が相馬市を訪問したのは震災後3か月ということで1段階目は既に了していたと思われる。問題は2段階目についてで、人々の記憶も薄れてしまうし、時間がかかるのもこの段階だ。GWでの一過性ブームに終わることなく、援助が続いてほしいと思う。
そういえば、日曜の早朝に余震が発生して、たたき起こされた。被災地って、東京とかよりも断然余震頻度が高いんだよね。仮設住宅での慣れない生活に加えて、余震発生による精神負荷は本当に大きなものだと思う。早く、平穏な日々が取り戻されることを祈りたい。

3.被災者の方々への情報提供
大きな混乱(奪い合いとか)もなく、無事に物品の提供ができて良かった(こういう状況を外国の人は驚くんだろうね)。悲壮感が漂うでもなく、近所の人を見かけて冗談を言い合う状況もあって、なんだかほっとした。ちょっと立ち話をした被災者の方の話だと、今日の物品提供の話は直前になって分かったとのこと。仮設住宅に居ると、こういった情報が来なくて、機会を逃すことも多々あるという。せっかくボランティアからの援助、漏れなく行き渡ってほしいものだ。

4.ボランティア参加(方法)
個人での被災地ボランティアの場合、現地までの移動がなかなかの負担であった。体力的にも金銭的にも小さくない負担だ。金銭的には高速代が無料になったり、列車代が割引になったりするシステムがあるが、手続きに時間がかかったり、期間限定や大幅割引は望めない。この辺はできるだけ多人数で訪問して負担を軽減させるのが良いのかな。ちなみに、受け入れ側としても団体申し込みはウエルカムだそうな。割り振りの際に、見知った人でまとめた方が、まとまり感があってチームワーク作業が期待できるとのこと。
足がなかったりして個人参加が難しい場合、ピースボートといった団体に申し込んで行くこともできる。団体によっては事前説明会への参加が必要だったりするが、移動の負担が軽減されるし、システム化されているので(のはず)、間違いもないでしょう。

5.ボランティア参加(心構え)
現地でのニーズに応えるのがボランティア活動。活動内容はもちろん選べないし(全く選択肢が無いわけじゃないけど)、いつもニーズがあるとは限らない。もしかしたら、1日何もしないという日があるかもしれない…。何が何でもと気負いせずに参加するのがボランティア活動かなと思いました。結局それが継続にもつながるし。

6.その他
物品提供する広場の横にテニスコートがあって、そこでは地元の人がテニスに興じていた。片や被災者が仮設住宅での生活を余儀なくされて物品提供を受ける中で、テニスに興じる人との対比がシュールであった。沖縄において、水不足により田畑の作物が枯れていく中で、隣の米軍基地では青々した庭に水撒きをしている、そんな状況を思い出してしまった。


2021.06.14追記

  
定期的に我が家に送られてくる、相馬市からの復興ダイジェスト中間報告。中身を見ると、カラー印刷で、頁数も多く立派な冊子。これを沢山印刷して関係者に郵送する手続き…。あまりにもったいないので、電話して送付対象外としてもらいました。復興が順調に進んで行きますように。※なんだかんだで10年も経っていました。なんだか感慨深いです。