実朝ゆかりの地巡り+(ちょと)パン狩り@鎌倉~大船~秦野

鎌倉にて源実朝ゆかりの地を巡りましょうと。んなら、パン屋さんも巡ってパン狩りしちゃう!?と夢のコラボ!?


 
■■■■■ 鎌倉編 ■■■■■



鎌倉駅へと降り立った~。さすが終末の鎌倉、日本人も外人も沢山。


当初予定から、あちらもこちらもと訪れることになって利用することになったレンタサイクル。
駅下りたら右手の小さな階段登ってすぐ、便利な場所にあるJR系列のお店。Suicaも使えまっす。


先ずは駅近くに店を構えるKIBIYAベーカリー でしょう。小道を入った所にお店あり。


やたら猫がいますね。開店と同時に向かったので、あまりパンはなく。


これとそれと、あれもくださいな!ランチ用に購入完了!


パンを携えて、再び自転車にまたがる。鎌倉ってお洒落なお店多いんだね~。


鶴岡八幡宮 の参道に出た。立派な狛犬居ますわ。


やっぱり、週末の鎌倉だから自動車多いな~。自転車移動にして正解!


鶴岡八幡宮にて境内入ってすぐの太鼓橋(渡れません)。


こちらが手水舎。


さてとで、大イチョウの大石段(階段)、来た~。


「がんばれ大イチョウ」と来ましたか。


なんか、ゆるい狛犬でしたよ。


大石段登って本宮へと。鬼瓦もパチリ。係員の人が、一方通行となるよう、必死に人を誘導してましたわ。
本宮入って左に位置する宝物殿も鑑賞してしまったわい。国宝級のものあって、照明も弱いので薄暗い館内だったな。



本宮前に、丸山稲荷社へと。蛭子さんの奉納もありましたわ。


大石段を降りて、右手には大イチョウの跡。2010年3月10日の強風で樹齢1000年程の銀杏が倒れてしまった。
良く知られた歴史では、こちらの大イチョウに隠れた公暁が降りてきた実朝を殺害したと言われている。


舞殿では結婚式されてました。


柳原神池にて、あれっと、リス発見。


柵の上をテクテクテク~っと行ってしまいましたわ。尻尾がぼんぼんの様にふっさふさでしたよ。


菅裸馬の句碑に「歌あはれ その人あはれ 実朝忌」とあり。


鶴亀石。「水で洗えば鶴亀のような輝きを出すと伝えられる名石です。」だとのこと。


こちらは、白旗神社。神社スタッフの人が前を通る時に一礼してから通り過ぎてましたよ。


鬼瓦(獅子口)をパチリ。経の巻なる突起物が高射砲に見えるんすよね~。


賽銭箱がごっつくて、鍵もしっかり!


こちらは、鶴岡八幡宮古神宝。内部は写真撮影禁止だったけれども、居並ぶ像は見ごたえ十分!
立ち並ぶ十二神将立像が迫力満点にして素晴らしく、海洋堂のフィギアが欲しくなってしまった~。
頼朝の肖像掛軸あったり、月岡芳年の『美談武者八景 鶴岡の暮雪』もありましたわ!格好良かった!


これ、なんだろうなぁと思ったけれど、あ!流鏑馬だね!


鶴岡八幡宮出て、自転車に乗ってお次は…。


勝長寿院跡へと。既にこんな状態だけれども、年に1,2回レベルで誰かが掃除しているような感じ。

源頼朝は、鎌倉八幡宮寺、勝長寿院と永福寺の大きな寺を3つ鎌倉に建立した。これらは3大寺院と言われた(現在、残っているのは鶴岡八幡宮だけで後の2つは焼失してしまった)。

中でも勝長寿院は極めて壮大であり、今でも大御堂の地名が残っている。源頼朝の父・源義朝は平治の乱で破れ、鎌倉への帰路、知多半島内海で殺害された。文治元年(1185)、源義朝の菩提を弔うために、この地に勝長寿院を建立した。

同年9月3日に源義朝と忠臣・鎌田正清の首を埋葬した。勝長寿院には本尊・金色阿弥陀仏像をはじめ、阿弥陀堂、法華堂、三重の宝塔などの荘厳な伽藍が建ち並んでいた。源氏の菩提寺的存在であった同院は、幕府や関東公方の保護によって寺容は整えられた。将軍・実朝はしばしば同院を訪ね、何首かの歌を残している。

承久元年(1219年)、実朝が公暁に殺害されると火葬にして同院に葬られた。北条政子は実朝追福のため、同院の傍らに五仏堂を創建し、運慶作の五大尊像を安置している。嘉禄元年(1225年)に政子が没すると同院で火葬にされた。この寺は康元元年(1256)12月の火事で消失したが、正嘉2年(1258)、北条時頼によって再建された。鎌倉幕府滅亡後も足利氏によって保護されたが再び焼失してしまい、その後廃寺となった。



ちなみに、駅前のレンタサイクルで借りたのは、こんな電動自転車(坂道あるし、距離あるしで電動付き正解)。



お次は大慈寺跡。こちら住宅街にポツンと、スマホの無い時代だったら辿り着けんかった!

大慈寺は、源実朝が父源頼朝への感謝のために創建を開始した寺院で、勝長寿院の「大御堂」に対して「新御堂」と言わた。

正嘉元年に征夷大将軍宗尊親王の時、本堂・丈六堂・新阿弥陀堂・釈迦堂・三重塔・鐘楼などをことごとく修理を加え、より荘厳の美が増したと『吾妻鏡』にある。





細い道を、怖い~とキコキコ。大分で別府地獄巡りで走った道を思い出したよ!(あそこも細くて、車の往来沢山にして怖かった)


車がバンバン走り過ぎていくのでよねこベーカリーは外観だけで、自転車スル~。



車の走る怖い道から脇道に入って、暫くキコキコ漕いで行った先で辿り着いた永福寺跡。

源頼朝は、鎌倉八幡宮寺、勝長寿院と永福寺の大きな寺を3つ鎌倉に建立した。これらは3大寺院と言われた(現在、残っているのは鶴岡八幡宮だけで後の2つは焼失してしまった)。

永福寺は周辺約9万平方メートルにわたり、現在は国指定史跡に指定されている。

源義経や藤原泰衡を初め、奥州合戦の戦没者の慰霊の為に建てられた寺で、文治5年(1189)12月に工事を着手した。頼朝が奥州・藤原一族を征討した際、平泉中尊寺の二階大堂(大長寿院)のすばらしさに心をうたれ、それを模して建てられた。二階の堂があった為「二階堂」と呼ばれ、付近一帯の地名にもなった。




だだっ広い野原的な所かと思いきや、公園へと工事中であった。


こんな感じで、お堂があった名残り。


公園でベンチあるし、お昼にしましょと近くの自販機でコーヒーを買ってと。
(実際はベンチでなく、お堂跡地の土台に腰かけてランチ)


KIBIYAベーカリー美味しいわい。ガッツリと食べてもうたわ。


こんな感じの跡地。


雨にも負けず、真新しい綺麗な紙で説明パンフレットありました。


再び自転車に乗って次なる場所へ


途中見かけた大佛茶廊。猫好きの大佛次郎ゆえに猫の絵が表札に描かれてましたよ。
寄ってみたいところだけれども、時間がないのであった~。


自転車を走らせて、寿福寺トンネルとやらを通過。トンネルを通過した辺りからオフロード状態!
雨の日の水の通り道で土がえぐられていて、凸凹具合がっ!そこを電動機付自転車で果敢に漕ぎ進む!


脇に自転車停めて、寿福寺へと路地から顔を出すと参道にはスケッチする人がずら~っ!(驚いた)


寿福寺の鬼瓦が格好良い~!


こちらでご朱印が貰えます。


実朝の墓があるという事で、こちらの寿福寺へとやって来たしだい。
落石があるとのことで迂回を強いられる。迂回先の階段てくてく登って。


奥へ奥へと。


岩窟墓地群でしたわ~。


こちらが北条政子の墓と言われている所。きちんとその旨書いてありましたよ。


で、実朝の墓はと…。墓の前に何もパネルがないもんだから、こっちかな?そっちかな?と。
で、ようやく判定したのだけれど、これ、間違えて訪問しちゃっている人が絶対に居るよね(自分がそうだったりして…)。


実朝の墓の前にてパチリ。何てことしていたら、蚊に刺された~。ひえぇ~と退散!
鎌倉駅にて借りていた自転車を返却してと。



■■■■■ 大船編 ■■■■■



電車移動で大船やって来た~。大船で寄るところと言えば、CALVAでしょう!(初訪問)


CALVAは男兄弟2人がパンとケーキを分担して焼き上げるパン屋&ケーキ屋で、人気店!
季節柄、出てきたモンブラン気になるけれど、KIBIYAベーカリーを食べ過ぎて無理だ~。
なので、お持ち帰りに難あるケーキは泣く泣く見送りして、パンを購入(後で食べよっと)。


ケーキはないけど、CALVAのパンを仕入れてルンルン、やってきたのが龍寶寺(龍宝寺)。

玉縄城2代目城主北条綱成が1503年に建てた瑞光院がこの寺のはじまりで、開山は泰絮宗栄(たいじょそうえい)と伝えられています。

1575年(天正3)に玉縄4代目城主氏勝が3代城主氏繁を弔うため現在の地に移し、氏繁の戒名「龍宝寺殿大応栄公大居士」により、寺名を「龍宝寺」として建立されました。略名として大応寺ともいわれたようです。その当時は玉縄北条氏の菩堤寺として栄え、七堂伽藍という寺院の建物がならび、広い土地や財産を持つ立派な寺だっといわれています。

玉縄城主歴代の位牌(いはい)や実朝の位牌も安置されている。




遺灰は本堂に安置されているらしく、残念ながら拝見することできず。


そうそう、龍寶寺で気になったのが、こちらの旧石井家住宅と、玉縄民俗資料館!


こちらは旧石井家住宅。どれどれてな感じ。


囲炉裏が日常で使われているかのような、そんな匂いが充満してましたわ。


そして、こちらが興味深い玉縄民俗資料館。プレハブ小屋なんだけれども。


土偶があったり、ジオラマや、鎧なんかも!


鎌倉かるたですか(知らんかった)。


2階もあるよ!


2階は、がらくた、もとい、色々昔のモノが置かれてましたよ。
農作業器具や、大工道具にタイプライターも!?(押しても良いんかい!) 鬼瓦もある~!



■■■■■ 秦野編 ■■■■■



龍寶寺発って立ち寄ったのが鎌倉トキワパン。3.11の東日本大震災で↓思うところあって、脱サラからパン屋を始めたという。
パンには北海道産小麦100%に伊勢原ブランドの卵、山梨の湧き水から作られたミネラルウオーターを使ってるとのこと。
昼過ぎの時間帯なのに、訪れた時には、ほぼパンが無い状態だったよ。地域に愛されているパン屋さんかな、と。

「震災の影響でスーパーの陳列棚から食べ物が消えた。そのときに理屈でなく食べることの大事さを痛感した」




こちら気になっていたecomo Bakery marumaru (ベーカリーマルマル)。以前、「建築ツアー@元町・中華街」で集合前にぷらぷら、
いくつかのパン屋を巡りつつ、途中チラリと立ち寄ったecomo Bakeryの本店になるのかな。パン屋だけでなく、いくつかのお店が集まってるみたい。


倉庫をリノベーションの様な建物に入ると、中はこんな感じ。床のコンクリートがひび割れていて、歩くとカタカタ音しますわ。
LOHASがテーマになっていてショップがあったり、レストランもあるのだけれど、閉店時間が早かった。


で、お目当てのパン屋さんの方はと。あまり残ってなかったよ…。お買い上げの袋は(個人的感覚で)LOHASっぽくないね。



お次は、名店なるブノワトン@伊勢原が惜しくも閉店してしまって、跡地に後継者なる方が開いたMoulus a la Meule(ムール・ア・ラムール)。
夕方前に訪れたのだけれど、完売にてCLOSEDでしたわ~、残念!また、いつの日にか、かなぁ~(なかなか来られる場所でない!)。




いくつかパン狩り逃して、最終目的地なる市指定史跡の源実朝公首塚 へとやって来ましたわ。


どれどれと、こちらが首塚ですね(失礼して正面からパチリ)。


歌人である実朝ゆえなのか、秦野俳句協会にてハイクポスト在りましたよ。
ここで一句、『パン狩りや、逃したパン有り、あゝ無念』てな感じかな(事実をダラダラと詠んでしまったよ)。


振り返ると夕焼けがなかなか良い感じ(写真では上手く撮影できんかった)。


あれっと、敷地を出ると何かが立ち並んでいるぞと、良く見たら案山子であったよ。


今年、大分県の国東半島訪問で見かけた、かかしワールドを思い出したよ!
あれっと、見たことあるキャラクターも居るぞな。「パルス!」 って、あれは別の作品だったか。


首塚にて見かけた案内板に、こちらの記載があって急きょ来てみた金剛寺。毎年、実朝まつりが開かれていて、
今年の2017年は没後800年にして、11月23日(祝)に実朝まつりが開催されるんだってさ~。

金剛寺は、もともと小寺でしたが、鎌倉時代に武常晴(つねはる)が3代将軍源実朝の御首(みしるし)を当寺に持参して埋葬したことに始まるといわれています。退耕行勇(たいこうぎょうゆう)を招いて木造の五輪等を建て実朝の供養をしました。その後、実朝の法号金剛寺殿にちなみ、金剛寺と改めました。

1250年(建長2年)に、波多野忠綱(ただつな)が実朝の33回忌のため再興しました。本堂には、源実朝像が安置されています。



実朝ゆかりの地巡りとパン狩りをコラボってみて、鎌倉から大船、秦野まで訪れてみた。
正直、実朝の知識不足で、巡っているときは由来も知らなかったけれど、ここで整理して少し知識を得た次第。

ところで、実朝が歌人だったというのは知っていたんだけれども、宋(中国)へと渡ろうとしていたとは知らなんだ。
その経緯も夢だの言伝だのと重なって、夢見た実朝が渡宋しようとしたのだけれど、完成した船は出航することも無く…。
その3年後に、鶴岡八幡宮の大石段にて、大イチョウに隠れた公暁により殺害されてしまうのであった。
学校の教科書では公暁に殺されたと、さらり記述されていただけなんだけど、色々とあったんだなぁと(そりゃそうだ)。
家柄良しにして、武士として初めて右大臣になったり、スピード出世していたのだけれど、実朝って幸せだったのかなぁ?