三宅島


場所は竹芝桟橋より三宅島へとフェリーで片道7時間ほど。目的は?ダイビング?それとも釣り?となるところだが、今回のテーマは、ガスマスクを購入して三宅島へと上陸すること!良くわからんが、とりあえず金魚の糞のように付いていくことにしよう。

しかし、7時間近く乗船して座席に座り続けるというのは本当疲れる(今回は特2等)。うつらうつらと満足に睡眠もとれずに、くたくたの状態で上陸だ。三宅島は東西に港があって、波の具合によって当日接岸する港が決められると言う。帰りの際は、事前に確認しておく必要がある。

竹芝桟橋


三宅島到着


三宅島



ガス濃度を測る機械


早速雄山へ



見えにくいけど、溶岩が海まで流れた後


かつては木々が生い茂る道だったんだろうなぁ。








雄山中腹の牧場へ





かつては村営牧場であったという、雄山の中腹。今では荒涼たる風景に様変わり。


強力な酸性雨によって、鉄は腐食してしまう。頂上付近のガードレールはご覧の通り、すっかり腐食して朽ちている。山頂付近に限らず、三宅島全体に酸性雨が降り注ぎ、島の屋根はすぐに傷んでしまうそうである。宿で屋根職人の人達に会った。屋根は日陰になるところが無く、さらに屋根からの照り返しの中作業を行うという。1日6Lの水を飲むが、トイレに1度も行かないと言っていた。たくましい腕をしていたが、意外にも、足の方が鍛えられるそうな。

斜めになる屋根で命綱もなく、常時踏ん張る状態は過酷だそうな。ついでに、屋根の感触を直に得るために地下足袋にて作業を行うが、屋根の熱に鍛えられて、足の裏の皮が力士の様にとんでもない厚さになっていた。恐るべし、屋根職人


天井が抜けてしまった、かつてのレストラン。


とりあえず雄山を下山



よく見かける看板。



1983年の噴火の際に溶岩流によって、飲み込まれてしまった阿古小・中学校。でも、この阿古小・中学校で溶岩流が止まり、ここから海岸までの住宅は危機を免れたという。校舎内まで溶岩が流れ込んでいた。

火ノ山峠へ





埋もれつつある車。






大台ヶ原トドワラ以上の立ち枯れ木景色。






見渡す限りの立ち枯れ木。海まで続いている。

ひょうたん山
1940年に海の中で噴火して一晩でできたというひょうたん山


長太郎池と呼ばれる所。干潮でないため、単なる海と化していて良く分からなかった。帰ってその景観を確認。
干潮時に岩に囲まれた部分が孤立して池のようになり、外敵が入ってこられないので隠れていた小魚たちの活動が活発になるという。


錆が浜ビーチ。アイスランドのように漆黒のビーチだ。


錆が浜の桟橋。地元の人が釣りに興じる。まさに入れ食い状態で魚が釣れるという。前日は20kg(!?)もある魚が桟橋で釣れたという。


再び雄山へ





噴煙が立ち上る。


雲の左に位置するポコッと出ているのは、噴煙によって埋もれてしまった手すり。
50cmは積もっているかな。




赤茶けた大地。



 
なんだかウルルにでも居るような感じ。



 
空港そばの海。ガラパゴスのよう。




フェンスは錆朽ちている。




島の至る所に作られている砂防えん堤




離島


雄山の立ち枯れ木の景観には驚いたが、既に草木も生えてきて再生に向かっている三宅島。早くかつての景観を取り戻して欲しいものだ。そいえば、早朝4時30頃に、未だかつて無い鳥の大合唱を聞いた。人がいなくなって、鳥が大繁殖したのかな?帰りにふと思ったけど、ガスマスクの購入しませんでした。何処で売っていたんだろう???