日光東照宮


1.日光山輪王寺 2.東照宮 3.二荒山神社 4.輪王寺大猷院 5.慈眼堂


とあるお休みとなった平日、何をしようと我が身の振り方を考えた。
指の皮がむけてヒリヒリと痛いから、たまにはクライミング以外のことをして過ごそう、
前から気になっていた日光東照宮へ行くことにした。数年温めてきた企画だ。
前日の夜更かしや不十分な下調べという心配をかかえて宇都宮から日光線に乗り換えた。


やってきたJR日光駅。この単線、手動でドアを開けるんだね。
最初閉めるのも手動かと思って、閉め忘れたらそのまま走るのか!?なんて思ったけど閉めるのは自動であった。


奈良時代に日光山を開祖したといわれる勝道上人(しょうどうしょうにん)。


2社1寺のチケットを購入。まずは日光山輪王寺へ。


相輪橖(そうりんとう)。中には仏教経典が1000部収められているとか。
先端の鈴の音を聞くと良いことが起こるらしい。


大護摩堂。三仏堂が世界遺産に登録されて火が使えなくなったので、こちらで護摩焚きをしているとのこと。
7時30分、11時、14時に護摩焚きをしているので、自由に見学可能だ。

 
味のある黒門の脇にある鐘と石柱。


日光山輪王寺から表参道に出て。


日光東照宮へと。


石の鳥居としては日本一大きい一ノ鳥居。高さ9mもあり後水尾天皇の宸筆による畳1畳分もある大額がかかげられている。
石は福岡県志摩郡小金村から花崗岩を切り出し、ここまで持ってきたという。
鳥居前の階段は徐々に段差が小さくなっているとか、視覚効果で奥行きを出すためらしい。


一ノ鳥居をくぐってすぐ左側にある五重塔。1650年に建立されたが、1815年に落雷で焼失。現在の塔は1818年に再建されたものだ。
カラフルな色使いが、中国か韓国の寺院に感じられる。

  
搭の十二支が方位を示しており、特に徳川三代の干支である寅、卯、辰の彫刻が多い。


東照宮第一の門となる表門。元々仁王門と呼ばれていたが、神仏分離のときに大猷院に移されて表門と呼ばれるようになった。
明治30年に仁王像は戻された。


表門の裏には狛犬が。 神仏習合といったところかな。


中に入ると灯篭が沢山。


右に隠れてしまった下神庫と中神庫、上神庫。正倉院の校倉造を模した蔵で3つ合わせて三神庫とも言われる。
春秋の渡御祭の1,200人分の装束や流鏑馬の道具が納められているという。


上神庫にある。


想像の像 が有名。狩野探幽が見たことのない象を想像で下絵を描いたという。

 
上神庫の前にあるのが神厩舎。有名な三猿(見ざる・言わざる・聞かざる)の彫刻が彫られている。
「万物は木・火・土・金・水から成る」という「五行」の思想に十二支を当てはめると猿は水、馬は火になるということから
猿は馬の守り神と考えられていたそうだ。馬小屋では猿が良く飼われていたという。


水盤舎 。九州鍋島藩主が奉納したもので、サイフォンの原理で水が噴き上がる仕組みになっている。


水盤舎の前にあるのは、日本で最初に造られた青銅製の唐銅鳥居 だ。
家光が金2000両を費やして建立したという。柱の足元には、神社としては珍しい仏教様式の蓮の花弁が刻まれている。

 
回転燈籠と対になって置いてある鐘。不思議な霊獣が。獏かな。


これ又、対に位置する鐘楼。反対側には鼓楼 がある。


で、陽明門

 
装飾彫刻が508もあり、1日中見ていても飽きないというところから、日暮門ともいわれている。
陽明門より奥は、明治維新まで庶民は入ることができなかったそうな。
あまりに装飾彫刻が多すぎて、とても1つ1つを確認することが出来ない。
その数に埋もれてしまうけど、1つ1つが一級品ものの代物なんでしょうね。


回廊の彫刻もびっしりと。


胡粉塗りの狛犬。胡粉とは貝殻をすりつぶして作った顔料。
これまた高価な一品。


門をくぐって。


とりあえず、眠猫の奥にある奥社へと。
ちっこい彫刻だから、手持ちのデジカメだとズームが足りない・・・。


坂下門を越えて207段あるという階段を上って・・・。

   
階段の1段1段が1つの石からできているという。凄く綺麗な階段、贅沢なつくりだな。
苔むす石垣がこれ又良い雰囲気を醸し出している。
江戸時代には将軍しか入れなかったという、それはありがたい場所なのである。


途中伊藤園の自動販売機があった、販売されているの「お~いお茶」1つのみ。なんだろ???
それはさておき、階段を上りきって。


宝塔前に位置する鋳抜門。門の色彩が落ち着いていて厳かさを感じる。
門の脇に居る狛犬は関東最古のものだそうな。


8角形の台座の最上段に位置した5mの宝塔
最初は木造だったが、後に石造りとなり地震で破損したのを機に金・銀・銅の合金に造りかえられたという。
奥に見える途中できれてしまっている木は叶杉 だ。願い事を木の祠に向かってすると叶うという。


こちらはお土産屋さん。ここでしか売っていないグッズもあるという。
後で適当なところでお土産でも買おうとしたけど、結局何もかわずに帰宅。
後で後でと思っているから、結局機会を逃してしまうんだなぁ~。

 
帰り道、石垣の石組みも見事なものだ。


拝殿(修復中)をさささと歩き見て。



こちらは陽明門を入って左に位置する神輿舎


徳川家康・源頼朝・豊臣秀吉を意味する三基の神輿が納められている。
天井に描かれた天女は狩野了琢によるものだ。


陽明門を出て、回転燈籠


オランダから奉納されたのだが、あまり調べもせず製作されたために葵の紋が逆になっている。
これを受け取った江戸幕府は複雑な気持ちだったろうな・・・。


回転燈籠の脇を通り抜けて本地堂へ。ここは鳴龍があることで有名だ。
中に入ると係りの人が部屋の端と真ん中(龍の真下)で柏木を叩いてくれる。
龍の真下で柏木を叩くと「チリリリリン」と鈴を鳴らしたような心地よい余韻が残る。
全然期待していなく『どうせよく分からないのでは』と思っていたけど、予想以上に鳴り響いていた鳴龍。
建物内部は残念ながら撮影できず。


14時を前にして東照宮を急ぎ足で移動、一ノ鳥居を通り抜けて日光山輪王寺へ護摩焚きを見学する。
こちらも撮影禁止の為、写真を撮れず。
最近、旅行先ではバシバシ写真を撮っていたので、ちょいと不完全燃焼。


上新道をとおって。ここはずら~っと燈籠が居並ぶ。



日光二荒山神社へと。


境内に入ったところ。


こちらは拝殿。


茅の輪がこしらえてあった。


こちらは縁結びの神木。こちらの神木は杉とならの木がいっしょになってしまったというもの。
すき・なら一緒に→好きなら一緒にということらしい。



お次は、輪王寺大猷院。こちらは家光の廟所。


仁王門をくぐって。

 
敷石を手入れ中かな?


御水舎。前にある石は水に濡れると色が変わるという。


二天門は修復中であった。


夜叉門前。


双方にある鐘楼と鼓楼は結構大きい。

 
夜叉門をくぐる。

   
4体の夜叉がいるので夜叉門 という。4対がそれぞれ東西南北をあらわしている。
通常の四神相応とは別の独自解釈で色付け・配置がされているという。
牡丹唐草(ぼたんからくさ)の彫刻で飾られていることから、牡丹門 ともいわれている。

 
こちらは唐門。両端はプラスチック(?)ケースに守られている。多分、本物の金箔が塗られているんだろうなぁ。
内部は家光が好んだ伽羅の香(昔は家光しか使用を許されなかった)が充満。そして天井にある140の龍は1つ1つが異なる形で描かれている。
龍は2種類あり青い珠を持つ龍が昇り龍で春に願いを天界に持っていく。もう一つ、青い珠を持っていない方が降り龍で秋に天からの祈りをもたらすという。
また、襖には狩野探幽、永真兄弟による教科書にも載っているあの有名な唐獅子像が描かれている。

 
不思議な格子の門。


皇嘉門。中国、明朝の建築様式を取り入れたその形から、竜宮門とも呼ばれてる


これまた燈籠がずら~っと並ぶ。


行きには気づかなかった景色、ここは天界で下の人界庭園が覗けるということらしい。


あぁ~、さっき立ち入り禁止だったところね。


帰ろうとしていたところ、あれ?っと気になるところが。


苔むす味のある道が。この道の奥は慈眼堂らしい。
天海の墓所があるところだ。
戻って、チケット売り場に拝観券を購入。
っていうか、誰も居ないからそのまま入ればよかったよ。


苔むす石畳で味があるなぁと思ったけど・・・。

  
つるつる滑って結構危険かも・・・、行きはまだしも帰りの下りが心配だ。


亀のようだけど、苔むしてさっぱり。

 
本殿を参拝し。


本殿を回りこむと。


本殿の後ろには廟塔が。


輪王寺宮の墓所。
天海は皇族を迎えるという遺言を残していた。輪王寺宮とは日光山の皇族門主のことをいう。

 
墓所はこんな感じ。


さっきの坂道は延命坂というらしい。


逆に命を縮めてしまいそうな帰り道。


苔むす燈籠が良い感じ。


下新道を通って。


途中ある日光東照宮宝物館。


慈眼堂で意外に時間を食ってしまった。長坂をとおって早足で帰ろう。


神橋だ。昔は将軍・勅使・行者以外の往来が禁止されていた。
今は修復中の為か往来は禁止されていた。


テクテク歩いてようやくJR日光駅。
東部と違ってこちらの駅周りは、ちょいと寂れている・・・。


とりあえず、日光線で宇都宮経由、帰ろう。
外人さんも沢山おりました。



下調べも不十分なまま訪れてしまった日光。
HPを書くのに後から調べたのだけれど、知らなかったことが沢山。
1つ1つの美術品に制作に至るいわれがあり、それを知らずに通り過ぎてしまったもの多数。
多少知識がついた今、もう一度日光を訪れたい気分だ。