名古屋訪問 熱田神宮・名古屋城・ナガシマスパーランド



『連休どっかに行くの?』
『愛知にプラリと』
『暇だし、俺も行こうかなぁ』

と、つい暇ぶっこきから企画内容も良く知らずに同行を申し出てしまった。「やべっ、しまったかな?」と思いつつも未踏の土地名古屋へと。


一応前日に「るるぶ愛知」を購入して名古屋の概観を把握。さあ品川を出発、B級企画の始まりだ!


そうこう、名古屋に着いて先ずはベタに熱田神宮へと。
こちらには三種の神器である草薙の剣が奉ってあるのだ。
最近ちょっぴり寺社仏閣・神話をチラ読みしていて、気になっていたところ。名古屋訪問、ちょうど良いので熱田神宮を訪問だ。


JR熱田を降りて熱田神宮へと向かう。
途中、電波学園なるものが!


こちらが電波学園の建物。なかなかに歴史を感じるぞ。


そして熱田神宮入り口へと。ご覧のとおり木がうっそうとしていて、静かで涼しいところ。
西行法師が25丁橋の前に腰を下ろし、『かくばかり 木陰涼しき 宮だちを だれが熱田と 名ずけめん』と詠んだという。


これは何かな?


意外にもピカピカな祈祷殿。ピッカピカな木がプラスチック感を思い起こさせる。


拝殿奥に本宮が位置する。本宮は昭和30年に建て替えられた。

熱田神宮
1893年までは尾張造と呼ばれる独特の建築様式であったが、三種の神器が奉納されていると言うことで伊勢神宮と同じ神明造となった。ついでに、「三種の神器の一つを祀る熱田神宮は、伊勢神宮と同格であるべきだ」という主張が熱田神宮の中にはあり、明治時代に国にその申請をしていたが認められなかった。


 
ちょうど結婚式をやっていた。


鳥居をくぐって本宮を後に。


手水舎。昔お参りをする際には川に入って身を清めていたと言うが、この手水舎はそれが簡略化された結果のものだと言う。
っていうか、参拝の順序がめちゃくちゃだな・・・。

 
名古屋ときたら、きしめんでしょう。宮きしめんにて「おすましきしめん」をすする。


名古屋最古の石橋である二十五丁橋。25枚の板石が並んでいることから、こう呼ばれているらしい。


熱田神宮は縄文時代の貝塚後にあったとのことで参道付近より出土した土偶が置いてある。
何ものなんだろうかと調べたところ・・・

眼鏡之碑
「眼鏡業に携わる私たちは八尺勾玉を造らせたもう玉祖命(たまおやのみこと)を祖神として崇拝し、眼鏡の功徳に感謝しつつ生業にいそしんでまいりました。わたしたちの組合が六〇周年にあたるので、縄文時代のめがね(遮光器)をつけた土偶を顕彰碑として建立し、広く国民一般の方々に啓蒙、精神文化向上の一助にしようとするものであります。」 by名古屋眼鏡商業協同組合


 
草薙剣のフェイクを祀っているという別宮・八剣宮(べっくう・はっけんぐう)

草薙剣と熱田神宮
素盞嗚尊(スサノオノミコト)はヤマタノオロチ退治の際に、ヤマタノオロチの尾の中から天叢雲剣(アマノムラクモノツルギ)を発見し、天照大神に献上した。天照大神は、その天叢雲剣を迩迩芸命(ニニギノミコト)に授けた。そして剣は皇居内に天照大神の神体とされる八咫鏡(ヤタノカガミ)とともに祀られていたが、崇神天皇の時代に皇女豊鍬入姫命(トヨスキイリビメノミコト)により八咫鏡とともに皇居の外に祀るようになり伊勢神宮内宮に祀られるようになった。以後、伊勢神宮にて祀られていたが、、東国の制圧(東征)の際に日本武尊(ヤマトタケル)に渡された。日本武尊が東征の途中、神剣によって野火の難を払ったことから「草薙剣(クサナギノツルギ)」の別名を与えられている。

東征ののち、日本武尊(ヤマトタケル)は尾張国で結婚した宮簀媛(ミヤズヒメ)の元に剣を預けたまま伊吹山の悪神を討伐しに行くが、途中で亡くなってしまった。宮簀媛は剣を祀るために熱田神宮を建てた。草薙剣は668年に新羅の僧に盗まれてしまうが、嵐のために出航できなかった僧を捕獲することができたと言う(この辺は2度3度神剣が自らの意思で戻ってきたが、ついには持ち出されてしまうと言う話がある)。この難を重く見て(そりゃそうだ)、そのときに賊が進入した清雪門は不開門(アカズノモン)とされて閉ざされたままだ。また、同じような賊をだますために八剣宮が建てられたという。

剣を賊より取り戻した後、暫くは皇居内に祀られていたが、天武天皇が病に倒れると神剣の祟りだということで熱田神宮に戻された。一説には壬申の乱で天武天皇の助太刀をした尾張国をたてるために、祟りという理由を作り上げて熱田神宮に返却されたとも言うが本当のところはどうなのか???なお、この時に熱田神宮に返却されたことを祝う「酔笑人神事」や「神輿渡御神事」が神事として行われている。そして戦後にアメリカ軍に奪われると言う恐れから、飛騨一宮水無神社へ一端非難するが、戦後に神官がひっそりと電車にて持ち運び、現在に至るという。


ところで、昔の京都にあった皇居と伊勢神宮、熱田神宮と三種の神器場所を結ぶと正三角形になるという話しもあって、試してみた。
が、ちょっと正三角形とは違うかな。でも、衛生写真の無い時代からすると、なかなか綺麗な三角形だ。


かなり駆け足でまわってしまった熱田神宮を後にして、熱田蓬莱軒。メチャ混みでとても入れる状況でなかった。


帰り道、電波学園9号館が!なに!?そんなにあるのか!?と。


あ!あっちには電波学園西館が!


正面にも建物が!電波学園の街だな・・・。




お次はと。名古屋城見物。


石垣には築城の際に手伝いをした大名の刻紋(刻印)がされていた。
そういえば、神田川エコツアーで参加した際に、江戸城石垣にも同じような事がされていたなと。


そうこう、工事中のフェンスを抜けるとババーンと名古屋城が。


その前に、清正石をチラ見。加藤清正が運んできたと言われているが、この石塁は黒田長政のエリアだったので単なる伝説と言われている。


さて、名古屋城へと乗り込むか。
こちらは表面だけがお城の形をした鉄筋コンクリート製。戦災による焼失前の詳細な実測図面が残されていたことから復元されたと言う。
現在、名古屋城築城開始400年にあたる2010年に本丸御殿の復元をめざして工事中である。
本丸御殿は移転させて焼失を免れた数々の調度品を複製して飾るという。いずれ、世界遺産に登録されるかもね。


まさにお城の地下道と言った感じの雰囲気。


藩の財政を支えた金の鯱。財政難のたびに改鋳され3度を経て粗悪な金の鯱になってしまったと言う。
3度目の際には、思い切り粗悪にしたために輝きも失われ、取り付け簡易になった鱗が強風で飛んだともいわれている。
また鱗が薄く、重なりも減ったために雨水が浸透して内部の木が朽ちてしまったとか。


大名駕籠かな。

 
天守閣へと上り階段、下り階段が分かれている。エレベーターもあり。

   
各フロアは展示物がずらり。意外にも沢山陳列された展示物を見回ったお陰でちょいと歩き疲れてしまった。
ボチボチ見ごたえ充分で、入場料¥500も妥当なものかな。
今話題の戦国武将の派手+奇抜な甲冑も沢山展示されていた(撮影禁止)。


金網で囲われた鯱。
鱗の合わせ目に鳥が巣を作ったり、ついばんだりする被害を防ぐために金網が設置された。
度重なる改鋳で失われた輝きを隠すためのものとも言われている。


記念撮影用の鯱。


やっと天守閣へと。


天守閣からの眺め。名古屋駅の高層タワーが見える。



再び名古屋に戻って。


日が暮れ始めてきた頃、行く先はメインのB級企画、ナガシマスパーランドの夜景撮影ごっこだ!
三重県は桑名駅にてナガシマスパーランド行きのバスを待つ。
あぁ、来てしまったよ俺。普通、三重と言ったら伊勢神宮だよね(次回は是非とも行かねば)。


桑名駅よりバスに揺られて薄暗い川沿いをブブーンと。
なんだか寂しい路線だな・・・。そんな不安をよそにナガシマスパーランドが見えてくると、そのライトアップが凄い!
やばい!テンション上がってきた!
しかしながら、遊園地にて下車するとそこには若い子やカップル、家族連ればかり・・・。
ここで撮影ごっこって、浮きまくりじゃない!?


しかし、入園してそのホワイトサイクロンが照らされる様を見るとテンションアップ!
三脚片手に園内を駆け巡る!


ぐぅ~!美しい(三脚を持っていて良かった)。
スローシャッター設定が細かくできないデジカメが口惜しい(できても多分使いこなせないけど)。


う~ん、美しいよ。木が邪魔だな・・・。


ついでに、観覧車も撮っておこう。
観覧車に乗って、上からホワイトサイクロンの全貌を望むというのが正しい鑑賞方法の1つと思うのだが、そんな時間も度胸もなし。


も1つホワイトサイクロンを横からパチリ。このまま突き進みたい気分だよ。
誰か右側の木を切り倒してくれないかなぁ・・・。


シュート・ザ・シュートを真下より。
あぁ、ホワイトサイクロンも下から見上げたいものだ。


ホワイトサイクロンとシュート・ザ・シュート、観覧車を望む。誰かフェンスと建物をどかしてくれないかな・・・。

  
こちらのスチールドラゴン2000も美しい!


ちょうどジェットコースターが上っているところ。


鉄骨の照らされ具合が絶妙だね。


再び遠めにホワイトサイクロンをパチリ。なんだかラスベガスのホテルのようだよ。


意外や意外、照明が消されたアトラクションも渋い!


ついでだから観覧車とのツーショット。


閉演の音楽が鳴り始めてスタッフが後片付けを始めている。
スタッフ横目にパチリパチリと。


そろそろ撤収だな。
いやぁ~、最初に企画を聞かされたとき、そして実際に遊園地に来た際はどうなることやらと思ったけど、
なかなか見ごたえあるライトアップ夜景だ。こりゃ、食わず嫌いはいかんなと、一見の価値ありだよ。


ちなみに、グーグルmapで上から見るとこんな感じ。美しい・・・。




再び名古屋に戻ってモード学園を撮影しておく。
新宿のモード学園ビルもそうだが、名古屋のビルも奇抜だな。



そして翌日はB級企画第2弾。山口は海上の森センターにて大正池撮影ごっこだ。
こちらに通称、大正池なる枯れ木の池があるそうな。ちなみに読み方は海上の森(かいしょのもり)センターだ。


名古屋から、えっちらおっちら南山大学が位置する山口にて下車。
下調べも何もしていない状況にて駅にある地図を頼りに目的地へと!


なかなかの好天気の中、若干道に迷いながらテクテク。
ご覧のとおり日を遮るものが無く、目的地に着く前にかなりの体力消耗。
しかも、あんまり案内板が無いときたもんだ。もうちょいガイドが欲しいぞ!


んで、ようやくやってきた、あいち海上の森センター。んが!?閉まっとるやないけ!!


歩き疲れた上に閉館と言う仕打ちに、暫しボーゼンと立ち尽くす。


あいち海上の森センターは閉まっているけれど、トレッキングをする山は閉まっていないよねと気分新たに大正池を目指すことに。


車両止めを通り抜けて、いざ。


ハチに注意とかイノシシに注意とか、色々注意を促す看板が。


しかし、ここでも海上の森の地図を持たずに突撃とかなり安易な企画実行だ。
一体全体、大正池とはどこにあるんだろう?


赤池というところに着いた。


これが赤池。ふ~んと。


ここで出会った職員らしき人たちに聞いてみると大正池は反対の方だと。


注意の看板よりも地図が欲しい・・・。


ほとんど手入れはされていなく、


方向案内だけなので大正池がどこにあるのやら・・・(大正池って正式名称じゃないけどさ)。

 
こちらは沼地。なんだか尾瀬の池塘を思い出した。


大正池も見つからずに何も成果が無いので、沼地のパノラマでも撮っておこう。


更にテクテク、堤防が見えた!この向こうに大正池があるのか!?
はやる気持ちを抑えてちょいと休憩。ある程度舗装されているトレッキングコースと聞いていたのに(単なる予想と判明)、
草を掻き分けてのトレッキング、ここまで来るのにボチボチ歩いたし、海上の森でもさ迷い歩いてクタクタだ。


こちらは革靴でトレッキング。さらに亀仙人の修行甲羅か!?と思わせるようなカメラ&三脚入りの重たいザックを背負っていた。
大したもんだよ、あんたは。


いつ以来だろうか、衣服に種子がくっついているよ。


この辺いったい木材チップが敷き詰められていた。
歩くと足元フワフワ。


休憩を終えて歩き進むと、あり!?っと散策コースの終了地点へと・・・。


かなり意気消沈ながら、収穫無しも悲しいので再び海上の森へと突入!
別の道を歩くが獣道か!?と植物にさえぎられて、こちらのルートは断念。

 
なんだこりゃ?と学術研究のため、種子の量を測るものらしい。


それはさておき、さ迷いテクテク・・・。


これは何だろう?木材チップを作っているのかな?


やってきた塚。疲れたな・・・。


セミの抜け殻でも撮影してみよう。

よくよく後日調べてみたら、方向違いのところに大正池が。
道を教えてくれたおっさん、指示を誤っているんじゃね?
地図を準備してを持っていけば良かったなぁと(暫くネット環境断絶でリサーチしたくてもできない状況で名古屋in)。
大正池は行くことできず、ただのトレッキングで終わってしまったが、気を取り直して東山動植物園の植物を観に行くことに。
ちなみに、大正池は時に水が抜かれてしまう(ダムをせき止める?)みたいなので、要事前リサーチ!




で、東山道植物園に行くと、休園日の案内が!
こりゃ踏んだり蹴ったりだね(要事前リサーチだよ・・・)。

 
気力・体力が萎えてしまったのでオアシス21にてまったり。


水の宇宙船と空中散歩ができるということで上がってみた。


う~ん、イマイチだな。


陽射しが暑い・・・。


下が透けて見えた。


たま~に、噴水が上がる。


さて、帰るとするか。今日1日なんだったんだろうな・・。


そんな訳であっという間に東京へと。
本日は何も収穫も無く、とても残念な一日でした。

久しぶりに新幹線に乗ったけど、やっぱり早くて乗り心地良しの新幹線。
でも、この高速代¥1000の時期に新幹線、かなり割高交通費だよね。
とりあえず、ナガシマスパーランドがワクワクできたから良かったものの、かなり危険な企画に参加してしまった。
次からはリサーチ状態を確認してから企画参加しよっと。