見学のススメ 流鏑馬

 
やって来たるは、浅草駅は隅田公園にて実施された流鏑馬の見学だ。
41年ぶりの遅い時期の降雪という記録更新した前日からの天候が危ぶまれたけど、お昼近くからはすっかり回復。
しかしながら、雪&雨により地面はぬかるみ、重場と言われる状況。
本当ならば平城遷都1300年を記念して甲冑による流鏑馬を計画していたけど、重場の為中止とのこと(残念)。

  
流鏑馬は既に始まっていて、掛け声と歓声が響き渡る。場所柄、企画内容から外人さんも沢山おりました。
しかし、走る馬上にて両手を離して弓を射るというのは相当難しいぞ(モンゴルでの乗馬体験を踏まえて)。
本日は、流鏑馬をお披露目するのが初めての人から、この道30年という人が混在して実演するとのこと。
流鏑馬は大きく「小笠原流」と「武田流」が存在するが、浅草で行われているのは小笠原流だ。


竹に板をはさんで的を設置する。


後ろを振り返ると、東京スカイツリーが。あれで、既に東京タワーよりも高いのか?

 
流鏑馬を終えた人たちが戻ってきて、再び開始位置から流鏑馬を行うのだ。

  
的の裏には小さな紙片が仕込んであって、見事に的を獲ると紙吹雪が舞うという仕組み。お見事!

  
場所を変えて見学。良い席は大使館とかに向けての招待席となっていた。

  
こちらも見事的中!桜は前夜の雨で散ってしまったけど、こちらの紙吹雪をご覧くださいと。

  
離れて見ていても見応えあったけど、近くで見ると又迫力もあってよろし。

さて、流鏑馬とは調べるところによると↓のとおり。流鏑馬って神事だったんだね。知らなかったよ。

流鏑馬を含む弓馬礼法は896年に宇多天皇が源能有に命じて制定され、馬上における実戦的弓術の一つとして平安時代から存在した。その後一時期途絶えていたものの、鎌倉時代には武士の嗜みとして、また幕府の行事に組み込まれたことも含めて盛んに稽古・実演された。しかし、個人の武勇に頼っていた時代から、兵法や兵器が進化して足軽や鉄砲による集団戦闘の時代である室町時代・安土桃山時代と、時を経るに従い一時廃れた。

江戸時代に入り享保9年(1724年)、時の将軍、徳川吉宗の命を受けた小笠原流20代小笠原貞政は、小笠原の伝書を研究し新たな流鏑馬制定、古式と共に奥勤めの武士達に流鏑馬、笠懸の稽古をつける。享保13年(1728年)、徳川家重の世嗣ぎのために疱瘡治癒祈願として穴八幡宮北の高田馬場にて流鏑馬を執り行い、これを奉納した。この後、将軍家の厄除け、誕生祈願の際などに度々流鏑馬が行われるようになる。明治維新を経て幕府解体、また第二次世界大戦と以後の煽りを受けるなど三度の衰退を見るが戦後に復興。現在、流鏑馬は神社の神事として行われている。


 
見事、3つの的を獲ると褒美の白布が渡される。贈り手は木の枝で渡し、騎手は鞭で受け取るそうだ。

  
流鏑馬を終えての会場。コース上に馬蹄のあとが残る。馬蹄かどうかは良く分からないけど。

  
結構スタッフ居たんだねと。


帰りがけ、隅田川から東京スカイツリーとアサヒビールの建物をパチリ。