さて、流鏑馬とは調べるところによると↓のとおり。流鏑馬って神事だったんだね。知らなかったよ。 流鏑馬を含む弓馬礼法は896年に宇多天皇が源能有に命じて制定され、馬上における実戦的弓術の一つとして平安時代から存在した。その後一時期途絶えていたものの、鎌倉時代には武士の嗜みとして、また幕府の行事に組み込まれたことも含めて盛んに稽古・実演された。しかし、個人の武勇に頼っていた時代から、兵法や兵器が進化して足軽や鉄砲による集団戦闘の時代である室町時代・安土桃山時代と、時を経るに従い一時廃れた。 江戸時代に入り享保9年(1724年)、時の将軍、徳川吉宗の命を受けた小笠原流20代小笠原貞政は、小笠原の伝書を研究し新たな流鏑馬制定、古式と共に奥勤めの武士達に流鏑馬、笠懸の稽古をつける。享保13年(1728年)、徳川家重の世嗣ぎのために疱瘡治癒祈願として穴八幡宮北の高田馬場にて流鏑馬を執り行い、これを奉納した。この後、将軍家の厄除け、誕生祈願の際などに度々流鏑馬が行われるようになる。明治維新を経て幕府解体、また第二次世界大戦と以後の煽りを受けるなど三度の衰退を見るが戦後に復興。現在、流鏑馬は神社の神事として行われている。 |