諏訪大社は、信濃国一之宮(しなののくに・いちのみや)と呼ばれ、諏訪湖の南に男神・建御名方命(たけみなかたのみこと)を祭神とする上社(かみしゃ)、北に妃神・八坂刀売命(やさかとめのみこと)を祭る下社(しもしゃ)が対座している。いずれも本殿を設けていなく、上社は神体山を祀り、下社は神木を祀っている。 |
御柱(おんばしら
) 4つの宮は、それぞれ神域とする四隅に御柱といわれる神木(しんぼく)を立てるしきたりで、7年に一度、寅と申の年に八ヶ岳山麓から20数キロを旅して運ばれてきた樅木(もみのき)が使われている。 長さ約16m、直径約1m、重さ12tの巨木16本を伐り出して、木遣り唄にあわせて人力だけで曳き下るのが御柱祭だ。 祭りの起源は大変古く、いつから行われているのかは定かでない。諏訪大明神畫詞(すわだいみょうじんえことば)という書物によると、今からおよそ1200年前の延暦20年の蝦夷征討の時の戦功に報いる形で桓武天皇が延暦23(804)年、信濃の国(今の長野県)の国祭として費用を信濃の国全体で負担するようにと国司に命じたとされているのが記録に残っている最古のものとされているそうだ。 |