今日は5:15起床、昨日の疲れもあってやはり起きるのが辛い。今日は、宿のオヤジに紹介されたガイドとともにルクソール西岸へ行く予定。約束の6:00を若干過ぎてガイドがやって来た。エジプト人て結構時間厳守なんだなぁとちょっと関心。やっぱり観光客相手の仕事だからかな?
最初に訪れたのがハトシェプスト葬祭殿。ルクソール西岸には王家の谷とかいろいろあるけれど、なんだかここのハトシェプスト葬祭殿を真っ先に訪れてみたかった。朝日を受けたハトシェプスト葬祭殿はメチャメチャ綺麗だった。女王ハトシェプストは、夫のトトメス2世の死後幼いトトメス3世の摂政となりエジプトで唯一の女性ファラオになった。トトメス3世にとっては、目の上のたんこぶのような存在だったらしいが・・・。 |
←王家の谷にて、トトメス3世の墓の壁画。線描画の壁画があるなんて知らなかった。いったいこの線描画はなにを意味するんだろう?
右の写真は王妃の谷。炎天下の中、日陰がないため、この日はのどの渇きとの戦い。結構というか、かなりの体力と精神力を必要とする。 王家の谷も似たような場所。王家の谷には有名なツタンカーメンの墓があり、王妃の谷にはネフェルタリの墓がある。どちらの壁画も保存状態がとても良く、当時の色づけがそのまま残っている。ネフェルタリの墓は壁一面に絵が残っていたけど、自分としては、ツタンカーメンの壁画の方が何故か印象に残っている。やっぱり、小さい頃からツタンカーメンの名を知っていたからかな。 |
ラムセス3世葬神殿にて。お昼を少し過ぎたくらい、ここまで来ると体力的にもかなり辛いものがある・・・。途中ガイドからもらった、チョコレート飴がすごく美味しく感じた。やっぱり何か甘い軽食が必要だなと痛感。もちろん、ペットボトルの水は必需品。 しかし、ラムセス3世の葬神殿、壁画の絵も大きかったけど、柱の大きさもでかい!左の写真は、比較対象がないので大きさがよく分からないが、炎天下の中疲労と空腹のため気力がなくなっていたにもかかわらず、この神殿を見たときは目を見開いて「でかい!」と叫んでまった、そんな感じ。 |
メムノンの巨像。アメンホテプ3世のものらしい。この座像の後ろにはアメンホテプ3世の葬神殿があったらしいが、後の王たちが石材として使用してしまったそうな・・・。ローマ支配時代に起きた地震により、座像にひびが入り、激しい温度差によるきしみで座像から音が聞こえたらしいが、現在は修復によってその音も聞こえない。 エジプトのあちこちにいる兵隊。やっぱりエジプト人も暑いのか(そりゃそうだ)、ちゃんと日除けが用意されている。ガイドが言っていたけど、遺跡を守っているらしい、「え?観光客を警備しているんじゃないの?」 |
9月17日:ルクソール東岸へ
今日は、ルクソール東岸にある、ルクソール神殿とカルナック神殿を見よう。今日1日でルクソールには用がなくなると思ったので、昨日のうちにカイロ行きの列車チケットを購入しておいた。
ルクソールを20:50に出て、カイロへ6:00に到着する予定。20:50までには2つの神殿も見終えていることだし、列車内で1泊ってことは今日の宿代は浮くなぁ。 宿からルクソール神殿までは徒歩で行ける距離、そんなわけで、久しぶりの日の出後の起床。8:00頃訪れたけどほとんど人はいなかった。左の写真はルクソール神殿の第一塔門。オベリスクが高々とそびえている。以前はちゃんと2本あったのだが、ムハンマド・アリによって1本フランス政府に送られてパリのコンコルド広場に立っているという。 ルクソール神殿は町中にあって、なんだかローマの遺跡を思い出してしまった。右の写真はスフィンクス参道から見たルクソール神殿。この参道は、かつてカルナック神殿まで続いていたらしい。 |
カルナック神殿のスフィンクス参道からの写真。ここもずいぶんと大きな建造物で、とにかく広い!途中、カルナック神殿で会った日本人夫婦とガイドさんに30分ほど同行させていただいた。右側の写真はそのとき撮ってもらった写真。この倒れたオベリスクは、ハトシェプストのもので、奥の右側にあるのが対となるオベリスク。 このオベリスクには、「半年でこのオベリスクを完成させました」と記述されているそうだ。そんなことが書いてあったのかぁ、良かった同行せさてもらって。感謝。 |
写真はカルナック神殿を出て再びルクソールの町へ戻ってきたところ。カイロ行きの列車までずいぶんと時間があるので、ナイル川を撮ってみた。 確かに川沿いには緑があって、その後ろは砂漠となっているのが分かる。しかし、昨日のルクソール西岸と今日の東岸をいろいろ歩き回って思ったことは、「良かった、砂漠の民に生まれなくて」ということ。こんな炎天下の中、大きな石を運ばされた日には、死んじゃうよ。 |