参拝のススメ 五色不動巡り

とあるイベントで訪れた平井は最勝寺。実はこのお寺、目黄不動とも呼ばれていて五色不動の1つだとか。そういえば、目黒、目白って地名であるよね。その他にも、目青、目赤、目黄と呼ばれるものがあるんだとさ。五色不動は各地にあるみたいだけど、東京にあるものが江戸五色不動と呼ばれて有名みたい。


赤いマークが現在の五色不動(青いマークは移動したお寺の元あった場所)




そんなら、江戸五色不動とやらを巡ってみよと密かにコツコツ江戸五色不動巡り (カトマンズの寺社を訪問して日本の寺社を訪問しないわけにはいかない!)。さて、五色とは五行思想の五色(白・黒・赤・青・黄)の色にちなんで名付け、揃えられたと言われている。時は江戸時代、徳川家光が天海僧正の進言により江戸府内から5箇所の不動尊を選び、天下太平を祈願したことに由来するという言い伝えがある。


江戸の鎮護と天下泰平を祈願して、江戸市中の周囲五つの方角の不動尊を選んで割り当てた。つまり東西南北(青白赤黒)と中央(黄)という具合。現在の住所は、明治以降、廃寺、統合などで不動尊が移動しているので結界の配置効果は消失している。地図上の青いマークが元々のお寺があった場所で、今よりも中心地に近い場所にあることが分かる(目黒だけは中心から離れている???)。でも、北に位置するはずの黒の玄武が、目黒不動として南西に配置されるのはおかしいな・・・(誰か詳しい人居ませんかね)。

実際には『五色不動』という言葉が登場するのは明治末辺りからとのこと。
江戸の鎮護という説以外に、五街道の起点に設置されていたという説もあるけど、後付の五色不動かもしれないね。
現在、五色不動と呼ばれるお寺は下記のとおり。目黄不動は括弧付けで書いているけど、括弧以外にもいくつか目黄不動と呼ばれるお寺があるみたい。

  ・目黒不動:瀧泉寺@目黒区
  ・目白不動:金乗院@豊島区
  ・目赤不動:南谷寺@文京区
  ・目青不動:教学院@世田谷区
  ・目黄不動:最勝寺@江戸川区(永久寺@台東区)

色の配置はさておき、五行思想に基づいて四方に設置されたと言われると、なんとなく納得してしまう。4天王とか、5人集ってなんだかすわりが良いしね。そんな五色不動巡り、巡る順番と言うものは特に決まりが無いみたいである。そんなら、機会あるときに順に巡ってみよう!というゆっくり企画の江戸五色不動巡り。最近は多忙なことから友人とも疎遠になってしまって、独りコツコツと地道な企画も良いかもしれないなと。


◆◆◆ 目黄不動(最勝寺)(東京都江戸川区平井1-25-32) ◆◆◆
JR平井駅より東へと、荒川の土手沿いだけれど、ちょっと分かりにくい場所にあり。


 
そんな訳で、最初に訪れた最勝寺は目黄不動。夕暮れ時で今日は三日月なんだなと。


 
こちらのお寺は、蓮の花がいろいろな種類、沢山あった(桜蓮とか茶碗蓮とか・・・)。不動堂内部の目黄不動は五色不動の中でも一番大きいとか。残念ながら写真は撮れなかったけど、建物内部で暗いから満足に撮れなかったであろう。



◆◆◆ 目白不動(金乗院)(東京都豊島区高田2-12-39) ◆◆◆
JR目白駅より目白通りを東へ、学習院を超えて次の信号を右折。急勾配を下ると金乗院は目白不動。JR目白駅よりも鬼子母神前駅か雑司が谷駅が近い。


 
お次に訪れたのは、散歩がてら買い物がてら、いや、目白不動を目的としてのお出かけだ。



毎月28日は不動明王の縁日で、一年で最初の縁日(1月28日)が「初不動」なんだとさ。ちなみに一年で最後の縁日(12月28日)は「収不動」というそうな。



肝心な目白不動はと・・・。



案内プレートが。


 
なんだかプレハブっぽいところに安置されているのが目白不動だ。奥に設置されているので、イマイチ良く見えない。


 
丸橋忠弥の墓とある。丸橋忠弥とは誰ぞやな?と思って調べたら、由井正雪の片腕と言われた人物だとか。由井正雪って幕府転覆を計画した人物だったな、横山光輝の漫画で出てきたよ。青山の墓地巡りが一時期流行っていたけど、お寺の墓地巡りは流行らないのかな。ちなみに卒塔婆って、元はストゥーパが語源だとか。そんなことを卒塔婆越しにビルを見て、ふと思い出す。



これはなんじゃらほい?



こちらの石像は『倶梨伽羅不動庚申(くりからふどうこうしん)』。不動明王の化身だとか。庚申の「申」にちなんで、石の下には三猿が彫られている(見ざる・言わざる・聞かざる)。三尸虫(さんしちゅう)が天帝に悪事を報告しに行かないように、人の悪事を見ざる・言わざる・聞かざると願ったのが由来かな?「庚申搭」とは、道教の考えで、60日おきに夜更かしをして三尸虫が天帝に悪事を報告しに行くのを防ぎ、それを3年続けた際に建立する慣わしだったとか。



さて、急勾配を上ってと。その急勾配ぶりに、タモリの日本坂道学会を思い出してしまった。多分、ここの坂も何かしらチェックされているんだろうなぁと。しかし、今が夏でなくて良かった。暑い日差しの中、この坂を上るのは勘弁である。



荒川都電を過ぎて目白駅へと。



◆◆◆ 目青不動(教学院)(東京都世田谷区太子堂4ー15-1) ◆◆◆
三軒茶屋駅より5分程度。


 
元あった場所から西へと、一番移動している教学院は目青不動。お寺の名称は目黄不動と同じ『最勝寺』だ。



三軒茶屋から、ぐるりと遠回りして教学院を回ってしまった。



こちらが南に位置する新参道。東には旧参道がある。


 
南の新参道より正面に目青不動が鎮座する。


  
こちらのご本尊は秘仏とかで、写真に写っているのは、いわゆるお前立ち 。不動堂には札とか貼られていて、なかなかに時代を感じる。※特定の日に限って公開される秘仏と絶対の秘仏で公開時に「お前立ち」と称する代わりの像が出されるものあり。



途中、三軒茶屋の交差点で購入したBIG ISSUE。手持ちが500円玉しかなく、お釣りが無いと言われたのでそのまま500円で購入した。目青不動でお賽銭も投げ入れずに、こちらに寄付をしたようなものだな。見たことない神通力よりも、目の前の人に支払いましょうよ、でした。



◆◆◆ 目黒不動(瀧泉寺)(東京都目黒区下目黒3-20-26) ◆◆◆
不動前駅よりすぐ。目黒からでも20分弱でも行ける。



目黒駅からだと、こんな案内板がある。目黒寄生虫館 も気になるんだなぁ。



なんだ!?この派手なポスターとファンキーな銅像は???おもわず、中国は嵩山少林寺にあった銅像を思い出してしまった。銅像の色といい、出来具合といい、何かつながりというか連想させられてしまった。



もうすぐ、節分だなと。



もう、目の前は目黒不動。境内沿いをテクテク入り口へと向かう。


 
どどーん!と。一番規模の大きい目黒不動。仁王門からして、でかい!目黒不動尊は歴史もあって、熊本の木原不動尊、千葉の成田不動尊と併せて日本三大不動 と呼ばれている。


 
こちらは独鈷の滝(どっこのたき)に鎮座する「水かけ不動明王」。水かけ不動は、ひしゃくで水をかけると色々な願い事がかなうという。


 
独鈷の滝は1200年前、伝教大師最澄の弟子慈覚大師が瀧泉寺を開いたとき、持っていた独鈷(どっこ)を投げたところから滝泉が湧き出したのが始まり。この泉は、それ以来枯れたことが無いと言う。奥の方には剣に巻きつく倶利伽羅不動が。剣はお不動様の右手の剣、竜はお不動様の左手の索(縄)を表しているんだとさ。



これも、昔からの水源???



さて、階段を上ると不動堂だ。



広い敷地に不動堂もでかい!



手水舎。竜のものを良く見かけるが、亀のものもあったりして、どういう意味なのかな?



さて、ようやく目黒不動だ。とはいっても、ご本尊は秘仏として12年に1度、酉年にご開帳とのこと。



不動堂の裏手に回って。



裏手には大日如来像が。



目黒不動境内で不動と大日如来が鎮座する所は、境内の一番高いところにあるが、階段を上るところには「犬等のペットは入れないように」と書いてあった。多分、それを守っている人は少ないと思うけど、なかなかに厳しいというか厳格な寺院だなと(でも、裏手は公園になっていて、子供が遊んでいたり、散歩する人がいたりとのどかな雰囲気)。


 
石に掘り込まれた文字が削れていて、年代を感じる(1638年製作)。



甘藷先生の墓」とな?帰って調べてみたら、青木昆陽の墓だとのこと。なるほどねぇ~。毎年10月28日に甘藷まつりが開催されているとか。元々、青木昆陽の命日である10月12日に開催されていたが、戦後から目黒不動の縁日に合わせて28日になったそうだ。



微笑観世音菩薩。



こちらは愛染明王。wikipediaによると愛染明王は「煩悩と愛欲は人間の本能でありこれを断ずることは出来ない、むしろこの本能そのものを向上心に変換して仏道を歩ませる」とする功徳を持っている。また「愛染=藍染」と解釈し、染物・織物職人の守護神としても信仰されている。さらに愛欲を否定しないことから、古くは遊女、現在では水商売の女性の信仰対象にもなっているだとさ。



愛染明王は一面六臂で他の明王と同じく忿怒相であり、頭にはどのような苦難にも挫折しない強さを象徴する獅子の冠をかぶり、叡知を収めた宝瓶の上に咲いた蓮の華の上に結跏趺坐で座るという。


お参り(良縁成就)の仕方はと。

1.愛染明王の台座前で絵馬を両手にはさみ胸元で合唱する
2.男=右側より反時計回りに心静めてまわる
 女=左側より時計回りに心静めてまわる
3.愛染明王の前に戻ったら、一礼をする。絵馬かけに、絵馬を奉納する


  
こちらは意志不動尊。目黒不動のHPには石不動尊とある。


--- 寄り道 ---


 
目黒不動から目黒駅へとテクテク、途中あった大圓寺に立ち寄り。境内に入って左手の大圓寺石仏群に、うおっ!となってしまった。明和9年(1772年)に大火があり、その火元と見られたのが大圓寺であった。江戸の三分の一を焼き、多くの死者を出した(江戸三大大火の一つ)。その慰霊のために造られたのが現在、都指定文化財である石仏群である。この火事のため大圓寺はその後76年間再建が許されなかったという。


  
江戸時代に漁師の網にかかり引き上げられたというとろけ地蔵。それが大火により、とろけてしまったそうだ。石が溶けるくらいのすさまじい大火であったのだろう、死者は2万人ほどにもおよんだとか。マニ車みたいなものがあって、まわすと中の鈴がなる仕組み。


 


七福神もあり。



ハイテク手水舎。

 


こちらがそのハイテク手水舎。

--- 寄り道 ---



駒込は六義園を越えてテクテク、目赤不動への途中にあるのが吉祥寺だ。江戸城築城に際し和田倉付近の井戸から「吉祥」と刻銘した金印が出土して、これを瑞祥として吉祥寺が建立されたという。かつては漢学の一大研究地であり、多くの学寮・寮舎を備えて常時1000人余の学僧がいたそうだ。東京大空襲で焼失・縮小してしまったと言うが、それでも大きな境内。ちなみに、こちらの吉祥寺には八百屋お七の塚と二宮金次郎の墓があると言う。



門をくぐると、どどーんと参道が。



ずいぶんと年代を感じる狛犬。犬と言うか縞模様から寅のようある。調べてみたら狛寅というものらしい。毘沙門天を祭るお寺では、狛犬ではなく狛寅を設置することがあると言う。毘沙門天と狛寅のつながりは、日本で最初に毘沙門天が現れたとされる信貴山朝護孫子寺や鞍馬寺の縁起に、「毘沙門天に援(助)けられたのが、寅年、寅日、寅刻だった」とあったことかららしい。



立派な鐘。大晦日では活躍したんだろうな。



これまた立派な大仏。



◆◆◆ 目赤不動(南谷寺)(文京区本駒込1-20-20) ◆◆◆
駒込より本郷通りを南に下って20分弱、途中の六義園と吉祥寺を越えたところにある。



さて、江戸五色不動巡りの最後をしめるのは目赤不動だ。



短い参道(?)を通ってこんな感じ。



右手に位置するのが目赤不動尊だ。


 
こちらもお札とか貼られたお堂が歴史を感じる。



中には目赤不動が鎮座する。元々は赤目不動と呼ばれていたが、鷹狩りの帰りに立ち寄った三代将軍家光より「目赤にせよ」との上意により目赤不動を名乗るようになった。



五色不動の中で、一番しっかり、はっきりと見ることができた目赤不動。



ついに江戸五色不動巡りをコンプリート!それぞれを訪れて感じたのは、東京って意外と寺社仏閣が多くね?ということ。特に、目黒界隈や目赤界隈はゴロンゴロンと寺社仏閣が乱立している。灯台下暗し、気づかなかったよ。それぞれに歴史があり、周辺の寺社にも色々といわれがあったりする。その物語がどこかで繋がっていたりと、ちょいと勉強になった。直ぐに忘れちゃうけど、そのための備忘録としてのHPなのだ。

ところで、江戸五色不動を巡っていて知った「関東三十六不動霊場巡り」というもの。関東の36箇所巡り・・・、ギブです。