参拝のススメ 伊勢神宮



急遽思い立っての三重県は伊勢神宮参拝企画。今年は明治神宮に始まって江戸五色不動巡りと寺社仏閣企画が続いている。
ここらで神社の総本山、伊勢神宮へと行かなければ!と温め続けてきた企画の1つを実行だ。


名古屋に到着して、近鉄線に乗換えだ。
名古屋では平城遷都1300年祭の広告があちこちに。セント君が頭上に!


近鉄名古屋より1時間ちょいで宇治山田駅へと。直ぐ隣にある伊勢市駅とどちらで降りるか迷ったが、
天皇や貴賓客、内閣総理大臣の伊勢神宮参拝の際の乗降駅となっていて貴賓室が用意されているという宇治山田駅。
駅舎本屋が2001年に国の登録有形文化財に登録されいることから、こちらの駅で下車することにした。
宇治山田駅はご覧のとおり、なかなかに渋くて味わいのある駅だ。両駅は歩いていける距離なので、結局はどちらでも良かったな。



こちらが宇治山田駅の外観。


桜も咲いていて、なんだか良い雰囲気。クリーム色の外壁と桜のピンクが見事にマッチ。


さて、今回の伊勢参りでは自転車を借りて巡ろうと思っている。そう、レンタサイクルってやつだ。
レンタルしたるは宇治山田駅構内にある伊勢市観光協会にて宿泊レンタル(翌日まで借りるのだ)。

駅構内に自転車があると思いきや、駅を出て伊勢市観光文化会館横の車の駐車場内にある。
こんな所に自転車が!?っていうか、車の持ち主が駐車場までの足にしている自転車かと思ってしまったよ。
分かりにくいなぁ~と思ったら、もらった地図の横に写真入で解説がありました(あら、見落としていたよ)。



これがレンタサイクル。3段ギア付きの上等な物ながら、しっかりと広告が付いている・・・。 前後の照明も自動点灯で安全面はバッチリ。
自分がレンタルしたのは宇治山田駅の観光案内所だが、支店が外宮前にもある。また、その他でもレンタサイクルをしている所があるようだ。
坂道があって、結構疲れたりと体力がある人向けという情報もあったりしたが、結果として自転車巡りで大正解!その機動力に◎!

◆レンタサイクル店名 伊勢市観光協会
所在地 宇治山田駅
連絡先 0596-23-9655
料金形態 4時間以内:500円
     4時間以上営業時間内:800円
     レンタサイクル宿泊料:100円
返却は翌日の9:00まで)
※上記時間内に返却できない場合延滞料
     4時間以内:500円/4時間以上:800円
営業時間・休日 8:30~17:00

◆レンタサイクル店名 駅レンタサイクル
所在地 JR伊勢市駅 伊勢市吹上1-1-4
連絡先 0596-23-5258
料金形態 3時間620円
     4時間820円
     5時間以上1030円
営業時間・休日 9:00~18:00



さて、一端、伊勢市駅に向かって駅より直進、参道を通って伊勢神宮は外宮(げくう)へと!


外宮は伊勢市駅より約100m。伊勢神宮の正式な参拝ルートは外宮→内宮(ないくう)とのこと。
更にいうなれば、神社と言うところは、日の出頃から夕方くらいまでに参拝するのが良いらしい。
そして夕方よりもお昼前が、なお宜しらしい。東京からやってきて午前中は厳しいよねと、午後参拝で勘弁。
でも、宿泊レンタサイクルにて、明日は早朝参拝するぞ!っと。



自転車はどこに停めたら良いのかしらん???と自転車で進入していくと、まるで咎められてしまうのではと思うほどのダッシュで
係りの人が建物より駆け出てきて(ドキッ!)、『そこに停めてください!』と。ほっ、怒られてしまうのかと思う程のダッシュ出現にちょいと焦ったよ。



さて、これより外宮参拝だ。表参道火除橋は工事中の為、仮橋より外宮へと。
ちなみに、外宮では左側通行となっていて、内宮では右側通行となっている。
何でかなと思って調べてみたら↓とのこと。特に深い意味は無いみたい・・・。
「正宮に向かって歩いたとき、御手洗場が内宮は右側に、外宮は左側にあるためです。
何年か前までは、内宮も左側通行だったはずですが、いつのまにか変わりました。」




手水舎にて俗世間の穢れを祓う。元々は川に入って身を清めていたが、それが簡略されたのがこの手水舎。
手水舎の作法は↓のとおり。

1.右手で柄杓の柄を持ち、水を汲み、左手を洗い清める。
2.柄を左手に持ち替え、同様に右手を洗い清める。
3.再び右手に柄を持ち替え、清水を汲み、その水を左手の中に溜め、口をすすぐ。
4.左手をもう一度、清水で清める。
5.最後に柄杓の柄を立てるようにし、柄に清水を流し落とす。




第一鳥居を抜ける。
ここから、木々が深くなって、うっそうとした雰囲気となる。



こちらは第二鳥居。



第二鳥居をくぐると右手に神楽殿。


神楽殿を過ぎると直ぐに見えてくる御正殿。


おぉ~、確かに外宮は御正殿、ついにやってきたなと。
伊勢神宮の正式参拝は「二礼二拍手一礼」だ。一礼して鳥居をくぐり、住所と氏名を名乗って神様にお祈りをする。
豊受大神宮(とようけたいじんぐう)は、お米をはじめ衣食住の恵みを与えてくれる産業の守護神だ。伊勢神宮のHPによると

雄略(ゆうりゃく)天皇は、夢の中で天照大御神のお教えをお受けになられ、豊受大御神を丹波(たんば)の国から、内宮にほど近い山田の原にお迎えされました。今からおよそ1500年の昔のことです。豊受大御神は御饌都神(みけつかみ)とも呼ばれ、御饌、つまり神々にたてまつる食物をつかさどられています。このことから衣食住、ひろく産業の守護神としてあがめられています。内宮と同じく、正宮と呼ばれますように、建物やお祭りはほとんど内宮と同様ですが、両宮は決して並列されるものではなく、あくまで内宮が神宮の中心なのです。

ちなみに、こちらでは毎日「日別朝夕大御饌祭(ひごとあさゆうおおみけさい)」なるものが行われている。
これは、毎日朝と夕の2回、食事をお供えする神事だ。上記にある、丹波の天橋立の近くから伊勢にお迎えしたのが始まりと言われている。
つまり、1500年近くも毎日実施されている神事なのだ。こちらにくだいた文章の記事があるが、この神事に出会いたかったものだ。

実は自分が伊勢神宮に興味を持ったのはこの神事からなのだ。
この神事に加えて、11月には神宮で天皇の勅使が遣わされて食事を供するという新嘗祭 が行われている(今だと勤労感謝の日)。
また、皇太子が今上天皇となって行う重要な儀式に大嘗祭 というのがある。
これは皇太子が即位の礼の後、初めて行う新嘗祭を大嘗祭といい、一代一度限りの神事である。
どうやら、神事の中心にあるのは食に関することであり、これが連綿と受け継がれているようだ。飽食でない時代、食べ物に感謝すると言うのが大前提なんだろうね。



御正殿の隣にあるのは平成25年(2013年)に実施される式年遷宮の予定地=新御敷地(しんみしきち)。


敷居の向こうに御正殿の屋根がちらりと。


パワースポットといわれる三ツ石だが、何も感じず・・・。


こちらは亀石


亀石を通って、別宮の多賀宮(たかのみや)・土宮(つちのみや)・風宮(かぜのみや)へと。


衛士見張所も素朴にして場に馴染んでいる。


亀石を渡って左に位置する風宮(かぜのみや)
風宮が別宮となったのは正応6年(1293年)と最後であり、4別宮の中で第4位とされる。
古くは現在の末社格の風社(かぜのやしろ、風神社とも)であったが、弘安4年(1281年)の元寇の時に神風を起こし日本を守ったとして別宮に昇格した。

外宮別宮
・多賀宮(たかのみや)
・土宮(つちのみや)
・月夜見宮(つきよみのみや)
・風宮(かぜのみや)



こちらは亀石を渡って右に位置する土宮(つちのみや)


そして階段を上っていく先は。


にょっきり生えた木を越えて。


多賀宮(たかのみや)だ。元々は高宮(たかのみや)であったが、縁起のよい字を当て多賀宮(たかのみや)になったと考えられている。
多賀宮がもっとも古く、外宮の4別宮のうち、『止由気宮儀式帳』(804年)と『延喜式神名帳』に記載されているのは多賀宮のみである。
祭神が外宮の祭神の豊受大御神の荒魂である豊受大御神荒魂(とようけのおおみかみのあらみたま)であることから、4別宮の中で最高位とされる。




西日に照らされた社の金色屋根が美しい。
屋根の頂部に並ぶ円筒状水平材が鰹木(かつをぎ)、頂部から交差して突き出ている斜め材が千木(ちぎ)。
千木が水平にカットされているものは女の神さまのもので内宮であり、垂直にカットされているものは男の神さまで外宮となるとのこと。
さらに鰹木が偶数本だと女神さま、奇数本だと男神さまだとのこと。



北参道を通って。


北御門鳥居を通り抜けると。


御厩(みうまや)がある。写真に写っているのは草音号(くさおとごう)。
全国に神馬(しんめ)を所有する神社は10社ほどあるが、伊勢神宮も内宮、外宮にそれぞれ御厩(みうまや)が2ヶ所ずつある。
神宮の神馬は鎌倉幕府を開く折りに源頼朝が10頭を寄進したというほどの伝統のもの。
現在でも皇室から牽進された神馬が飼育され、毎月1日、11日、21日には、菊花紋章の馬衣をつけて神前に見参する。




火除橋に立てかけられている「左側通行」の立て札。


で、外宮を出ると内宮まで3.8kmの案内が。


今回は歩道の状態が良いとのことで観光案内所でお勧めされた37号を通って内宮へと。
このルートだと途中、倭姫宮(やまとひめのみや)と月讀宮(つきよみのみや)、猿田彦神社を経由することが出来るのだ。



伊勢地方では正月だけでなく、年中しめ飾りを飾ると言う。
一説には、伊勢神宮の主神、天照大神(あまてらすおおみかみ)が弟の素戔嗚(すさのお)の乱暴ぶりに怒り、天の岩屋に隠れたエピソードに起源を持つ。
天照大神が岩屋から引き出されると二度と入れないように縄を張り巡らせたのが、その始まりだとしている。




内宮までの道はず~っと燈籠が立ち並ぶ。
その景観にカルナック神殿からルクソール神殿まで続いていた参道にスフィンクスが立ち並んでいたと言う話を思い出してしまった。
桜と燈籠の景観がこれまたマッチしてますね。



途中、日蓮上人誓いの聖跡を通過したので軽く寄ってみた。
日蓮が「我、日本の柱とならん。我、日本の眼目とならん。我、日本の大船とならん」との有名な三大誓願を立て、
伊勢神宮に誓願成就を祈って百日の水ごりをしたのがこの井戸だという。有名なんだね・・・、全く持って知らなかったよ。



そのまま桜の道へと誘われていくと。


左手に神宮農業館だ。こちらも白いレトロな建物に桜のピンクが映える!
こちらの農業館では、自給自足の伝統を守る神饌など、農林水産関係の標本・資料を展示。



その先をちょいと行くと、神宮微古館
神宮徴古館では、祭典の関係資料や御装束神宝、 歴史や参宮についての史料を展示。



正面から見た神宮微古館。


その先にあるのが倭姫宮(やまとひめのみや)だ。


長い参道を通っていく。ちょいと歩くけど、それが通りの喧騒から静かな場所へと誘ってくれる。


参道を右に直角右折して階段を上る。
直角右折で明治神宮を思い出してしまった。あちらは末広がりの88度だけど、こちらは90度なのかな。
普通に古い別宮と思っていたら、こちらの倭姫宮は、大正12年(1923年)11月5日にご鎮座祭が執り行われたとのこと。
別宮でも、一番新しいものだ。



そうこう参道を歩いて、こちらが倭姫宮。意外にも1、2人ほど参拝者あり。


さて、参拝を終えて37号を再び南下だ。


大鳥居をくぐって、燈籠の立ち並ぶ37号を南下だ。


燈籠には寄贈した人や組織名が彫ってあるのだが、個人名があったりして・・・。
燈籠って結構な値段するよね。



倭姫宮から伊勢自動車道を越えて暫く、下り坂に勢い余って通り過ぎてしまったが途中にあるのが月讀宮(つきよみのみや)だ。
こちらは内宮の別宮にあたる。内宮が「読み」で外宮が「夜見」の字を当てている。その由来は???
内宮別宮としては天照大神の魂を祭神とする荒祭宮(あらまつりのみや)に次ぐ順位で、内宮宮域外の別宮としては最高位の別宮である。

月讀尊(つきよみのみこと)は天照大御神の弟神にあたる。天照大御神が太陽神で弟の月讀尊は月神といったところかな。
実際に月讀尊は夜之食国(よるのおすくに)をお治めるようにと誕生したとのこと。
月讀宮は駐車場もあって、内宮→猿田彦神社→月讀宮と連なっているためなのか、参拝者が結構おりました。



天照大御神の父神にあたる伊弉諾尊(いざなぎのみこと)を祭神とする伊佐奈岐宮(いざなぎのみや)


天照大御神の母神にあたる(?)伊弉冉尊(いざなみのみこと)を祭神とする伊佐奈弥宮(いざなみのみや)
良く知らなかったけど、天照大御神は『古事記』において、伊弉諾尊が黄泉の国から生還し、黄泉の穢れを洗い流すために左目を洗ったときに化生したとされている。
そうすると、伊弉冉尊は正確には母神ではないのかな?



その辺の神話はさておき、端っこよりパノラマ撮影。


一番右に位置するのが月讀尊荒御魂(つきよみのみことのあらみたま)
荒御魂とは、伊勢神宮のHPによると次のとおり。神様の御魂のおだやかな御姿を「和魂(にぎみたま)」と申し上げるのに対して、
時にのぞんで格別に顕著なご神威をあらわされる御魂のお働きを「荒御魂(あらみたま)」とたたえます。




境内の木。なんだか熊のようにも見える。


こちらは、次の式年遷宮の予定地。
伊勢の神宮は左右に遷宮するのに、こちらの月讀宮では前後に遷宮している。
4つ社が並んでいる関係から前後の遷宮となっているのかな?



お次は猿田彦神社だ。猿田彦神社についてHPをみると↓とのこと。
そんな訳で交通安全・方位除けの神社として信仰されている。

日本神話によれば、猿田彦神はニニギの天降りの先導を終えた後、伊勢の五十鈴川の川上に鎮まった。
猿田彦大神は、ものごとの最初に御出現になり万事最も善い方へ"おみちび き"になる大神で、古事記、日本書紀などにも「国初のみぎり天孫をこの国土 に御啓行(みちひらき)になられた」と伝えられています。
 大神は天孫をおみちびきの後、伊勢の地を本拠として国土の開拓を指導され、垂仁天皇の御代に皇女倭姫命が神宮鎮座の地を求めて諸国を巡歴されたときに、大神の御裔(みすえ)の大田命(おおたのみこと)が祖神、猿田彦大神と同じく御先導され、五十鈴川の川上一帯の霊地を御献上、伊勢の神宮の御創建に尽くされました。



日に照らされる社が美しい。


神宮同様に屋根の鰹木(かつをぎ)と千木(ちぎ)の黄金色が又良い。


こちらの鳥居は神宮のように簡素な円柱ではなく八角柱であった。


方位石。今知ったけど、猿田彦神社の色々なものが八角形になっているという。
それで、鳥居の柱も八角柱だったのね。



こちらは俳優(わざわざ)、神楽、技芸、鎮魂の祖神と仰がれている佐瑠女神社(さるめじんじゃ)。祭神は天宇受売命(あめのうずめのみこと)
天照大神が天岩戸に隠れた際に、天宇受売命が力強く舞うことで天照大神の興味を引いて岩戸を開けさせることに成功し、再び世界に光が戻ったと言われている。
これって日食を例えて作られた神話なんだろうね。そうに違いない。



奥にあるのは猿田彦土中神社。こちらは神社と言うかアート作品という位置付けとのこと。
中に入ると天井にはこんな感じの模様が。外の光を取り入れているのかなと思ったら、蛍光灯で照らされておりました。


猿田彦神社より内宮へと!


こちらは神宮会館。りっぱな建物だ。


内宮に近づくと車が駐車場町をしていた。自転車はその脇をすり抜けてすぃ~っと。
車の場合は、もっと手前に停めておかげ横丁をぶらぶらしながら内宮入りすると良いだろうね。



燈籠がでかくて数が増えてきた!内宮近し!


駐車場の広さから外宮とは違うぞと言う雰囲気がただよっている。おまけに参拝者も沢山だ。
さて、内宮へと思ったがお腹がすいてきたので、その前に腹ごしらえ。
こちらのおはらい町もずいぶんと混みよう!人を掻き分け、すぐさま食にありつける場所はと・・・。



こちらのお店はお客さんがあまり居なくて大丈夫そう!
いや失礼、お客さんが少ないのは閉店しようとしていたからであった。


用意できるものは伊勢うどんだけとのこと。
望むところです、とサササと出てきたうどんをサササとすすってお店を出る。
伊勢うどんは、こしがないうどんで期待するなと言うコメントが多数あったけど、特にそんなことは無く、美味しくペロリ。



さて、腹も満たされて宇治橋より内宮へと!こちらは外宮と違って右側通行だ。
この宇治橋を渡ることで俗世間から聖なる空間へと足を踏み入れることになる。



真新しい宇治橋は近づくと檜の香りが漂う。宇治橋は神宮の式年遷宮より4年早く架け替えられている。
というのは、太平洋戦争での敗戦直後に式年遷宮が見送られてしまったときに、せめて宇治橋だけはと言うことで
当初の予定通り1949年(昭和24年)に架け替えられたのだ。それ以降、式年遷宮に先立つ4年前に宇治橋が架け替えられるというわけだ。
今ある宇治橋は2009年(平成21年)に架け替えられている。



宇治橋を渡って神苑は、神社の境内と言うよりも庭園のようだ。
いや、だから神苑というのか。神苑=神社の庭園という意味らしい。



鳥居をくぐると外宮のように、木々がうっそうとしてくる。
空気もひんやり、神の領域に近づいているのかなと。



と、その前に右手に五十鈴川だ。この五十鈴川が、神宮へ参拝する際の身の穢れを祓う場所であったのだ。
全国の寺社では、河川の汚染等で清流の確保が困難になったために簡易式の手水舎が用意されたと言う。
でも、神官でない一般市民が参拝のたびに川で祓っていたのでは大変だし、神教普及の妨げになってしまうだろうね。
宗教とはどんどん儀式化して格調を高めていくけれど、一般大衆向けにはどんどん簡略化して普及させるものなのかな。


こちらは第二鳥居だ。


第二鳥居をくぐると直ぐ左手に神楽殿がある。西日を浴びた神楽殿も、これ又綺麗だ。


神楽殿の正面に構える風日祈宮(かざひのみのみや)と。
こちらの風日祈宮橋は架け替え作業が始まっていて、奥に仮橋が架けられていた。



仮橋より五十鈴川を望む。川面に反射する西日が又美しい。


こちらが風日祈宮(かざひのみのみや)。


本来の橋が架かっていれば、このまま真っ直ぐ行けるのだが。


御正宮へとはやる気持ちを抑えて、その前に荒祭宮(あらまつりのみや)へと行ってみた。
が、タイミング悪くて人が沢山・・・。人が切れると思ったら、後から後から。



こちらは外幣殿(げへいでん)と御稲御倉(みしねのみくら)だ。
外幣殿には古神宝類が納められていて、
御稲御倉には神宮神田から収穫した御稲が納められている。


巨木がにょきにょき、まるで神宮内のパワーを吸い取ってすくすく成長しているようだ。


こちらが、撮影禁止により階段下からでないと撮影できない神社の総本山、伊勢神宮の内宮にある御正宮だ。
ついにここまできたのか・・・。



御正宮にて参拝して、その御正宮の景観を目の当たりにした感想は、重厚にして厳か、そして簡素にして洗練されている雰囲気であった。


山伏の人も参拝していた。


こちらが次に式年遷宮される新御敷地。気兼ねなくパチパチと写真を撮れるのも今だけだな。

ちなみに、伊勢神宮にはご存知、3種の神器の1つであり、もっとも重要な八咫鏡(やたのかがみ)が奉納されている。
この八咫鏡は天照大神の化身とされていることから、3種の中で最も重要な神器と言われている。
かつ、その姿かたちは絶対に目にすることが出来ず、式年遷宮の際にも布をかぶせて移動させる神官も見ないようにしているとのこと。
神官はもちろん、歴代の天皇すら見ることを許されなかった八咫鏡だが、明治天皇がその姿かたちを検分したと言われている(多分本当だろうなぁ)。
後は江戸時代だったか明治時代だったか、神官が布越しに八咫鏡を検分して、こんな感じだったと記録にしたという話がある。



本当ににょっきにょっきである。大地の精を吸い取ってすくすく成長しているような感じ。


余談。太古の昔に高千穂峡へと降り立った神々は、日が昇る東に向かって日本を駆け抜けたという。
高千穂峡から日の出方向へ向かうと、そこには高野山、伊勢神宮、富士山、明治神宮、皇居、鹿島神宮が連なっている。
偶然にしてなのか、そのラインはちょうど中央構造線という活断層の位置となっていてパワースポットになっていると言う。
風水的に言うなら、龍脈といったところ。ちなみに活断層の方は長野あたりで北上していて、そのラインには分杭峠や諏訪大社が位置する。
昔の人はどうやってなのか、パワースポットを感じ取ってその場所を信仰で集まる場所にしたようだ。




閑話休題。西日を浴びる神楽殿が改めて美しい。


日除橋を渡って。


御厩に神馬はおらず。


御厩を過ぎると大きい鯉やら鶏やら、すずめがくつろいでいる。
鶏は神鶏(しんけい)と言われていて、全く人間を怖がらず。
鶏は闇の終わりを告げて暁の始まりを告げることから重要視されたんだろうね。



木を見上げると鶏が沢山!こんなに居たのか!
元々神宮で飼っていた鶏は白いものだけだとのこと。
茶色いものは、誰かが処分に困って放ってしまうものだとか。
でも、それらを駆除することなく平等に餌を与えているという。



鶏達を後にして宇治橋へ向かう途中、見事な桜が。
曇りがちで綺麗に撮れていないが、見事に綺麗な桜であった。写真撮影する人多数。



大山紙神社と子安神社に向かう入り口も桜が立派に咲いていた。


大山紙神社と子安神社。子安神社には沢山の小さな鳥居がおいてあった。


西日に射された鳥居の影がまたよし。


帰り道も桜を堪能。良い季節に来たものだと。


どこかのHPでお土産で貰うよりも断然美味しい!とあったので赤福を買ってみた。
が、普通の味であった・・・・。でもお茶付き、お代わり自由で¥280と料金は良心的な価格。
餡子の三つの筋は五十鈴川を表している。で、お箸は宇治橋なのかな?



沢山の店員さんが、お茶が少なくなった湯のみを見つけるやいなや、お茶を注ぎますか?と来てくれる。


甘いもので体力回復して、おはらい町を散策して見るが、ほとんどが店じまいをしていた・・・。
この辺のお店の引き際は見事なもので、ダラダラ営業する気はないようだ。



こちらはお酒屋さん。


屋根にはお猿さんが。


赴きある新橋だ。提灯に明かりが灯ると、なおよしに違いない。


おはらい町に戻ってテクテク。
神宮道場前の神宮祭主職舎にある桜がまたよし。



こちらの門にある鯱が。


ずいぶんと長いひげだな。


おかげ横丁に行ってみると、こちらの屋根にも猿の置物が沢山。


こんな感じ。


おはらい町、おかげ横丁をひととおり散策したので、自転車置き場へと戻った。
ついでに、人が引けた宇治橋をパチリ。



自転車に乗って帰ろうとしたところ、駐車場向こうに神社らしきものが。
こちらは饗土橋姫神社(あえどはしひめじんじゃ)。祭神は宇治橋鎮守神(うじばしのまもりのかみ)で、宇治橋を守護する神社とされる。
ご覧のとおり、ぴっかぴかの状態でした。



味のある燈籠がずらりと。
うっそうと茂る木々と日が暮れてきたこともあり、聖域がなんだか冥界へと変ってしまうかのような感じがした。
これが、日の出から夕方頃までが参拝に適していると言われたりしている所以かな。



すっかり人も居なくなった23号を戻る。


桜と燈籠がよろし。


帰りは最短と思われる32号を通ることにした。
内宮から外宮への坂道は長く、自転車だとなかなかに厳しいのであった・・・。



内宮より外宮へ戻ってきた。外宮は燈籠に明かりが灯り、すっかり夜モード。


さて、晩御飯はどうしよう。と伊勢市駅当たりをうろちょろするが、商店街はいずれも活気が無く、お店も閉店状態。


宇治山田駅前の食堂にて伊勢うどんを食す。
他にも食べようかと思ったけど、そこそこお腹一杯になったので、最近の食生活を鑑みて腹八分にしておいた。