移住:日本→マレーシア(Aug-2023)
大前研一が言っていました。「人生変えたいなら、住む場所変える、会う人変える、時間配分変える、の三つしかない」と。思い切って、全部やってみましたよと。しかも、初めての転職と初めての海外移住となりました。全てがガラガラポンですよ。やり過ぎちゃいました(^^ゞ ※別に人生変えたいとか、大きな思いはなく、単なる後付けです。

とまぁ、転職・移住をすることにしたら、結果として大前研一の言う3つを全てをやってしまったと言う訳なのでした(後付け)。そんな訳で、後からそれに気付いて、あれ?もしかして、と言う事でした。転職・移住することを周りの人に話したところ、クライミングメンバーに友人や会社のメンバー方々が、壮行会を開いてくれたので、一部を掲載です。場をセッティングしてくれたり、忙しい中で時間を作ってくれたり、色々としていただき、本当皆さまには感謝です。転職先の内定が決まって2カ月弱で出国となったので、退社手続きに行政手続etcと結構ドタバタでした。人生の転機ゆえ、記録に残しておくことにしましたよと。


■■■■■■■ 壮行会編 ■■■■■■

■■■ クライミングメンバー ■■■


こちら、クライミングメンバーの集い。A隊長の秘密基地に集っての壮行会でした。料理を準備してくれたりして、プレゼントを持って来てくれたりと感謝です。A隊長からは、長年漬けこんだ梅酒も配られて、ありがたや。



U夫妻からは、マグロの刺身とクドウのレーズンサンドが!なんとなんと、これはありがたや。マグロは美味しいし(食べ収めか?)、クドウのレーズンサンドも久々にして、やっぱり美味しい。このぎっしりレーズンがクドウですよね。くぅ~、美味いわと、一口一口、咀嚼のたびに感謝しましたよ。




■■■ テニスサークルメンバー&超多忙Sプロジェクト ■■

お次は、テニスサークルメンバーと昨年に超多忙プロジェクトで助っ人参加した際に、ご一緒したリーダーの方と混成メンバーでした。以前に訪れて、また食べたいなと思ったので、こちらのお店は自分チョイス(新宿の「ぶち旨屋」)。


テニスサークルメンバーは、あんまり参加できておらずなのに、集まってくれたのでした。しかも、『嫁を説得した』と参加してくれたK先輩に、同様のセリフが飛び出してきたリーダーのMさん。当日まで、まったく接点が無い2人から同じセリフが出てきて、思わず笑ってしまったのでした。このメンバーが一番質問多かったわ~。K先輩は、『絶対にお米が恋しくなって帰ってくる!』と唾を飛ばすがごとく、何度もシャウトされましたよ。



■■■ バーガークラブ ■■■

お次は言わずと知れたVIRON@渋谷です。バーガークラブのメンバーとランチしました。VIRONのクレープ屋さんの方は、健在でした。前に訪れてクレープを食したのは、 2021年2月だったのか。さて、食事の前にパンを買っておこっと♪



こちらで食事するのは2回目。前回は、もう20年くらい前になるだろうか…。本場で出されるような(?)、脂身比率が、とんでもないレベルだった豚肉を思い出しました…。今回も豚肉を頼んだけれども、全然そんなことはなく、そして美味しい!



デザートに洋ナシタルトを追加したのだけれども、さすがVIRON!良い材料と職人技術から生み出された洋ナシタルトの美味しいこと!美味いわ~、とモグモグ頂きました。美味しいVIRONを味わうことができました♪




■■■ 友人S君 ■■■

中東を一緒に旅行した 友人のS君とサシでお洒落カフェへと(浅草にあるカフェ・オトノヴァ)。指定されたお店に赴いたのだけれど、お洒落だわ~。



最近の外食続きで、胃の方がお疲れ気味だったので、クスクス&サラダのランチセットを注文。食後はティラミスが出てきましたよ。S君からは、『転職するとは思ったが、まさか海外だとは』と話が始まり、色々と過去の思い出を語るのでした(飲み会やら、なんやらと、色々一緒したなぁ)。



■■■ バーガー仲間 ■■■

カフェ・オトノヴァの同日夜には、これまた別のバーガー仲間と恵比寿の「バーガーマニア」へと(奇跡的に集う事ができた)。1人は海外出張だったり、もう1人は起業していたりと、各自の道を歩いているメンバーを前にして、自分の今後の道を2人に初めて開示するのでした。2人とも驚いていたけれど、『頑張ってください。チャレンジ精神に刺激を受けました。』なんてコメントが。美味しいハンバーガーとともに、楽しいひと時でしたよと。




■■■■■■■ 渡航編 ■■■■■■
期待と不安を抱えて、久しぶりのマレーシアへと降り立ちました。来馬後、暫くしてから、前回の訪問はいつだったかなぁと調べたら、2011年5月以来。かれこれ12年ぶりの来馬なのでした。ところで、マレーシアの賃貸は、家具が揃った状態で貸し出されるとのことで、移住者にはありがたい慣習。移住初心者の自分も、すんなり住み始めることができたのでした。と言っても、最初の1週間超は会社が用意したホテルでの宿泊。その次はAirbnbで繋いでいるのでした。Airbnbよ、何て助かるんだ。そうそう、空港からホテルへはGrabを利用して楽チンにして明朗会計。Airbnbに続いて、Grabも楽チンですわ。今回の移住を前に、かつてバングラデシュへと転職して移住した友人がアドバイスをくれました。『外国では生活に慣れるのに3カ月かかるよ』と。いや、マレーシアってば、そんなこと全然なかったすよ(バングラデシュってば、難易度高過ぎだろ)。やっぱり、海外移住の敷居が低い、とても良い国なのでした。



ところで、マレーシア行きの飛行機は会社負担&手配してくれるのだけれど、ベトナム乗り継ぎの便なのでした…。


というか、当初あてがわれそうになったのは、マニラ経由で2:00amクアラルンプール着する便。えぇ~Σ(・□・;)となりつつも、会社の提示だから仕方ないのかなと思いつつ、いやいや、海外においては自己主張が大切だろうと、『2:00am着は勘弁してください』と返信したのでした。そこから、すったもんだで何度ラリーしたことでしょう…。こちらから希望で提示した便について、何の言及もなく、別の便が提示されるんですよ(おいおい)。

却下の理由が分からずに、再びラリーが生じると言う無駄以外の何ものでもない…。暫くラリーして『選択肢が欲しいから、複数列挙して!』と伝えたら、LCCも混ざってましたよ…。そんなこんなで、消去法で残ったのがベトナム航空なのでした(※こちらは、就職する会社ではなく、外注している会社でした)。ちなみに、別途でヒアリングしている、『初日はいつ?どこに行けば良いの?』について、一向に返事が無いまま飛行機へと乗り込むのでした(もち会社の場所は分かっているけれど)。こちらは就職する会社の担当部署・総務担当的な人に確認したのだけれど。俺、マレーシアに行って良いんだよね?



色々と不安と疑問を抱えて、来馬してしまいました。持ち物はスーツケースが1つだけ(あと、機内持ち込みリュックも2つ持って来たけれど)。友人のT氏がミニマリストなのだけれど、自分も、これを機会にミニマリストになろうかしらん(移住後に、段々と荷物が増えてきて無理だった)。



空港からは、初めて使ってみたGrab。最初の操作で、まごまごしてしまったが、これからは、ちょくちょく使う事になるかな。高速道路から見た夕焼けが綺麗でしたよ。



1時間4分の乗車でホテルに着きました。料金はRM82.03(≒2460円)です。安っ! ホテルにチェックインすると、自分が思っていたようなところとは、かなりかけ離れていました…。俺、この狭い所で暫く生活するのか…。軽い晩御飯にするため、ホテル周りをテクテクして、コインランドリーを見つけました。俺、ここを使う事になるんだなと。


 
懐かしい。インドで見かけた、パニプーリーを見つけました(後で気付いたけれど、この辺一帯はインド人街であった)。軽い夜食にはちょうど良い、と久々に口にしましたよ(美味し)。


■■■■■■■ 仕事・趣味編 ■■■■■■

ところで、出社2日目にしてこんな格好となりました。日本から持って来た沢山のYシャツとズボンと革靴は無用の長物に…。人事(日本人)に服装について聞いたのだけれど、あまり良く分からなかったんだよね。一言「office casual」と。いや、そのオフィスカジュアル具合が知りたいんですけれども…。初日に出社したら、バリバリスニーカーOKでしたよ(人事がNGと言う格好もOK!)。研修後の配属で気付いたのは、膝下のパンツやサンダル姿の人も。ドレッドヘアで、もう1つ頭があるかのようなヘアスタイル の人も居るのでした…。


 
ところで、街をテクテクしていて、おぉ~と思った事。こちらの教会を見かけて、あれ?さっき手前で見かけたのは、ヒンズー教徒がお祈りする様子。ヒンズー教の横にキリスト教かぁと思っていたら、その向こうからアザーンが聞こえてくるのでした(イスラム教)。さすが、多宗教国家!


 
ところで、マレーシアで楽しみにしていたこと。それは東南アジアで最大とも言われるジムがあるところでした。早速に行きましたよ。会社に初出社するよりも前に、初ジムですよ。最初に行ったのが、1UTAMAのジムで、翌日はJUMPAのジム。どちらも大きいけれど、1UTAMAは圧倒!


 
ジムで友達になった夫婦が、とても良くしてくれて、毎週ジム三昧となりました(しかも、初日は晩御飯を誘ってくれて、奢ってくれた!)。土日はジム三昧で、住居に併設されているプールを利用するための海パンを買う暇がないっ!いつになったら、プールを利用できるようになるかな…。


ところで、スーツケース1つで移住したがために、限られた荷物の持参と言う制約あり。ゆえに、毎週末の土日は2枚のTシャツをヘビロテしていたのだけれど、2組の夫婦からTシャツをプレゼントするよと言われたのでした。『いやいや、日本にはな、沢山のTシャツがあるんだぞ。もうそろそろ、物資が届くはずなんだ』と言う切り返しをして、定番の笑い話になりつつありますよ。そしたら、先日に1組の夫婦から2枚もTシャツをプレゼントされちゃいましたよ。



■■■■■■■ 振り返り編 ■■■■■■

転職・移住にあたって…。こちらの図は、移住前に頭の中で描いていたものなのだけれど、今回の記事追加を機会に作成してみた。一番左の図が人生の要素かなと(綺麗に整理・配置されたものを以前ネットで見たのだけれど、どこへ行ったのやら…。他にも「成長」とかの要素があったような…)。今回の転機は、「仕事」と「健康」の面から決断することとなった。※図の要素配置に意味なしです。


仕事で過重労働が頻発し、月間に***時間外労働が続いたのでした。朝の8:30から打ち合わせがあり、昼も打ち合わせがあり、夜も21:00過ぎまで打ち合わせ(ご飯もおざなりに)。合間はメンバーの資料確認をしたりして、最後に資料整理の時間となってお客様報告に備えるので、必然的に深夜まで作業が続くこととなる(何故か自分がチーム管理者にして、作業者となり資料作成もする体制に…)。過酷な状況で、メンバーの1人は脱落してしまって、更に負荷は上がるのでした(要員追加も動き出さず)。身体に異変が生じ始めてくるし、何よりワークライフバランスが取れない!と言った感じなのでした。過重労働と体制について、上司に報告・相談し続けても状況は変わらないし、それならば自ら行動を起こして環境を変えるしかないなと考えたのでした。そんな訳での決断でした(過重労働は昔からで、なんだかんだで20年以上も続けてしまった…)。

で、転職自体は数年間、考えていたのだけれど、あるときに知った「マレーシア勤務」。もしかして、もしかして、人生の要素が色々と満たされるのでは?と調べてみたのでした。そうすると、「仕事」、「趣味」はある程度確保されつつ、「夢」が叶えられそうだぞと。幸いにして、多くの人が一番の障壁となる「家族」の理解・許可も得られたのでした(人によっては、パートナーの理解に子供の教育環境、両親の健康状態も影響してきますよね)。そして、仕事の「給料」や「財産」の方は、自分が浪費家タイプでないので、それ程重要視する必要もなく、転職後の給料と、今ある財産で問題なさそうなのでした。「友人」は、現地で友人が作れるかどうか、かな←まぁ、なんとかなるか。

で、「マレーシア勤務・移住」にあたって、大きな変更要素となる「仕事」と「趣味」を掘り下げてみてみた。結果、失うものがあるけれど、得るものもある。年齢を経て、自分が大切とする優先順位も変わってきたこともあり、問題なさそうなのでした。特に、趣味については、「趣味のポートフォリオ」と呼んでいる各要素について、コア要素となるものが問題なく確保されそうなのでした。サテライト要素については、潔く断念しよう(スノーボードはコア寄りであり、高価な道具も買ったばかりだったけれど…)。読書については、そんな時間が無いだろうし、やろうと思えばKindleで実現できるでしょう。

と言う訳で、マレーシア勤務を決意して、転職活動を始めたのでした。転職活動は1社目の面接・筆記テストで受かったわけではなく、ジェットコースターのような一喜一憂があっての活動終了となったのでした。でも、結果的には、業務内容は納得できるものとなり、転職活動が暫く続いたお陰で、通い出した歯のメンテナンスも終えることができたのでした(銀歯を全て入れ替え)。他にも色々と自分の状況、家族の状況etc、ちょうど良いタイミングでの内定受領となりました。

マレーシアに来てから生活と仕事が始まったばかりであり、今後どうなるか分からないところもあるけれども、今のところ「こんなはずじゃなかったのに!」と言う事は幸いにして無し。仕事は思ったとおりに厳しく(特に英語の面で苦労が…)、趣味の方は、思った以上にクライミングを楽しめて、友人もできたのでした。友人は、早い段階で得ることができて、本当にありがたい。

ところで、今回の記事作成で壮行会の写真を見ていて思った事。それは、日本ってば本当に美味しいモノで溢れているな~と、痛感したのでした(美味しかった記憶が蘇りました…)。マレーシアにも美味しいモノはあるけれど、繊細さとか清潔感が全体的に高いレベルで確保されてい、日本はやっぱり凄いなと(あの美味しかったものを、また口にしたい…)。岡目八目のとおり、日本を出て日本の良さを改めて色々と知ることになりました。

改めて経緯を振り返ってみて…。決断のきっかけとなった「過重労働と体制」で凄く苦しんだのだけれども…、そのお陰で苦しさが後押しとなり、大きな決断をすることができました。そう考えると、ある意味良い機会となったのでした(ゆでガエルを回避)。そんな訳で、第2の人生開始を、マレーシアにて開始です。