江之浦測候所+岡田美術館+ルネラリック美術館(April-2021):江之浦測候所編


久しぶりに車の運転をして箱根へと!本日は天気良く、行楽日和。



富士山も正面にくっきりと!



腹ごしらえで、先ず向かうところは。



一夜城ヨロイズカファームへと。こちらではパンも売っているみたいなので、席が取れれば良し、でなければパンをテイクアウトして外でランチしようという考え(外と言っても、どんな所か分かってないけれど)。



レストランに向かうと、事前予約制でランチすることできず(リサーチが甘かった)。と言う訳で、予想以上にパンが並んでいたので、見繕って外でパンランチすることにした(パンの選択肢が十分にあるぞ)。



お菓子も販売されてました。



ケーキの販売も。生菓子は見送りかな…。



お店前のベンチは日向にして暑く混んでいたので、駐車場の方にある東屋的な所でランチすることにした(何故だか、こちらはがら空き)。


パンはどれも美味しく、さすがトシヨロイヅカ、やりますな。幸せランチパンなのでした。ところで、お店にいたバイトの女の子たちが気になるのでした。と言うのは、何人も居たバイトの子が、パンを買ったときに温めるか否かの確認もせず、そのまま出して来ようとしたこと。いやいや、とりあえず温めるかを確認しようよと、手持ち無沙汰しているのに…、と思うのでした。

食後にソフトクリームを食したかったのだけれど、道の混雑っぷりも分からないしで、早めに退出。一夜城も見ずに、ヨロイズカファームのパンを食べただけで退出するのでした。他にもやらなければならないことを思い出して、寄る所ができたので…。そう、チケット印刷するのを忘れていたのである。




途中見かけた、なかなか個性的なお店。



無事にチケットの印刷を終えて、やって来た。チケット印刷をすっかり忘れていて、最寄りのところにはコンビニがないとのことで焦ったけれど、ヨロイズカファームからの途中にコンビニあったので助かったよ(チケット出力の仕組みを止めて予約メールで手続きするようにして欲しいな)。そして、目的の江之浦測候所へも余裕をもって到着することができたのでした。


ちなみに、こちらの事前予約は車での訪問 or 送迎バスのいずれかを選ぶことができる。江之浦測候所の駐車場に送迎車が2台あったけれど、人数に応じて使い分けるのかな。今回、自分は車での訪問タイプチケットを購入なのでした(確か料金は変わらず)。




さてとで、大分時間に余裕をもって到着したぞと。



到着するとスタッフの方が寄ってきて、『まだ時間になっていないので、お待ちください。あちらの階段に登れますよ』と。



ん?あちらの階段とは、あれの事かな…。



他には何もないので、言われるがまま登ってみた。あ、中の様子が見えるよ。



こちらの建物も見えますね。終了~てな感じで20分近く、この階段でどうやって時間をつぶそうか…。



たっぷり時間があるので、階段をあちらこちらから観察してみた。


さてとで、帰宅して記事まとめで調べた江之浦測候所の成り立ちと言うかコンセプトを知った次第(事前学習おろそかにしてごめんなさい)。設計はもちろん杉本博司。

江之浦測候所の各施設は、美術品鑑賞の為のギャラリー棟、石舞台、光学硝子舞台、茶室、庭園、門、待合棟などから構成される。また財団の各建築物は、我が国の建築様式、及び工法の、各時代の特徴を取り入れてそれを再現し、日本建築史を通観するものとして機能する。よって現在では継承が困難になりつつある伝統工法をここに再現し、将来に伝える使命を、この建築群は有する。

建築群に使用される素材は、近隣で得られる素材を中心に使用するものとし、擁壁、造園等に使用される石材は根府川石、小松石等を使用する。造園の為の景石には、平成21年度の広域農道整備事業に伴い、近隣の早川石丁場群跡から出土した江戸城石垣用の原石を使用する。随所には、古代から近代までの建築遺構から収集された貴重な考古遺産が配されている。




やっとこさ時間になって入館。シールを貼って、エントリー済みの証拠。どうやら、午前と午後で色を使い分けているみたい。



ようやく、江之浦測候所へと! ドキドキしつつ、すかさず撮影しまくり。



う~ん、良いなぁとパンフレットをチェック。



最初にトイレに行っておこうかな。



トイレに行くと、ロッカーがありました。ここにロッカーがあるのね(入館の際に特に説明もなかったけれど)。



トイレに行く際にも、中庭があって良い感じ。




夏至光遥拝100メートルギャラリー
さてとで、トイレに寄ったお陰で上手いこと分散されて混雑状態が緩和されましたよ。最初は、こちらの回廊へと行ってみることにした。事前リサーチ不十分なので、どんなルートで鑑賞するか、何も決めておりませんでしたよ。


この回廊には全て水平線の写真が展示してあって、最初にキャプションで展示している写真の撮影場所が掲載されてました。覚えられませんわ~とパチリ。手前から順番に下記のとおりとなっていましたよ。こちらの回廊を真っすぐ進むと海に出て水平線が望めることから、回廊の写真も水平線なんだね(そう言えばで、展示の写真は撮影しておらず)。
 1. カリブ海、ジャマイカ(1980)
 2. リグリア海、サビオレ(1993)
 3. スペリオール湖、カスケード川(1995)
 4. ボーデン湖、ユトビル(1993)
 5. エーゲ海、ピリオン(1990)
 6. ティレニア海、コンカ(1994)
 7. 日本海、隠岐(1987)

そして、今知ったところによると、海抜100m地点に、100mの回廊を作ったんだとか。片側のガラスは柱の支えなしに37枚自立しているんだとか。ほえぇ~ですよ。石の方は(思ったとおり)、大谷石を使用していて、自然剥離肌の加工なんだとか。そして、ガラスが自立と言うことで、屋根は片持ち形式なんだとか。な、なんだか凄かったんですね。とりあえず、大谷石の採石場も行ったなぁ(2006年6月)


もち、パノラマもパチリ。水平線の写真は右にある感じで、ロスコーの白黒版かと思ったのでした。雑に言うのなら、全て同じような写真なのでした(こんなこと言ったら、怒られるな)。



前を行くカップルのシルエットが良い感じで撮影しちゃいました。



小松石 石組
途中、回廊左手の様子をガラス越しにパチリ。三角状の石は小松石と言って江之浦測候所の北2km程にある小松石丁場のものなんだとか。



回廊の途中にある横道から顔を出してパチリ。



再び回廊へと。前と後ろ。



終端までやって来ました。振り返ってパチリ。



これが、終端向こうの様子。海が見えますよと。



再び回廊の入り口まで戻って、回廊横の道を行くことに。



円形石舞台
まるで遺跡か何かの様な石の配置。中央にある円形の石は、大名屋敷にあった大灯籠の台座なんだとか。台座の周りにある石井は、京都市電の敷石を放射状に擦り合わせたもの。その周りにある巨石は、江戸城の石垣のために切り出されたんだとさ(江戸湾への回航に失敗して沈んだものが根府川海岸の海底で発見されているとあるので、それを拾い上げた?)。



冬至光遥拝隧道
鉄の筒となっている回廊。先ほどの回廊と交差していますね。こちらは読んで字のごとく、冬至の太陽行路となっている。


当時は一年の終点でありまた起点であると解説書にあり。こちらの隧道(「ずいどう」←読めんかったよ)が発端となって、こちらの江之浦測候所の建立を思い立ったんだとか。冬至に登る太陽はこちらの70mある隧道を通って、端に置かれた巨石を照らし出すんだとか。



光井戸
回廊を歩き進むと、途中にある井戸?こういうポイントなんて言うんだろ?カンボジアの寺院とかでも、こんな感じのレイアウトがあったような。なんかカンボジア旅行を思い出しちゃったよ。


井戸は中世(室町時代)のモノと考えられているんだとか。井戸枠の中に、光学硝子破片を敷き詰められている。雨天時には、雨粒が一滴一滴と井戸に降り注ぐんだとか。




回廊を先まで進んでみた。端っこまで行きたかったのだけれど、足元の石(止め石といって、進入禁止マーク)があったので、大分手間でストップ。





光学硝子舞台と古代ローマ円形劇場写し観客席
檜の懸造り(かけつくり)の上に光学硝子が敷き詰められた舞台。観客席はイタリアのフェレント古代ローマ円形劇場遺跡を実測して再現している(←マジっすか。何故に、そこの円形劇場を採用したんだか)。客席からは硝子の舞台が水面に浮いているように見えるんだとか(なるほどね)。


釘を使用せずにガラスの板をはめ込んでいるので、台風なんかの時には取り外して退避しているんだってさ。こちらの舞台を実際に使うこともあるらしいのだけれど、ガラス材質で雨が降った際には滑ってしまうことから天候に左右されることもあって、あまり使用頻度は高くないんだとか(あらま)。




冬至の回廊天井を歩いて端まで行ってみた(例によって止め石があるので先端まで行くことできず)。そこから下を望み、舞台をチラリ。



もっちろんで、パノラマ撮ってみた。見事な水平線。



こちらは石舞台とその周りの枯山水的デザイン。右側の写真は夏至の回廊側面。 こうしてみると、遺跡かお城の壁みたいだね。



根府川石 浮橋
近隣の根府川石丁場から採取される根府川石は、自然肌の平滑面を持つのが特徴なんだとか。この平滑面を利用して踏石としてレベルをそろえ、自然石を地表から僅かに浮かせて配置している。このデザインが、とても美しかったよ。眺めて良し、思わず歩いて渡りたくなるような、そんな雰囲気を放っている。



野点席
ちょいと休憩を取ることにした。こちらも単なる休憩場所ではなく、冬至の朝に暖を取るための焚火の場だとのこと。



奥には自動販売機がありました。飲み物を何も用意していなかったので、ジュースを1つ購入。ってか、いざ自動販売機に対面した時に、例のだし道楽自動販売機だったら、誰しもが突っ込み入れるところだね。『これ、飲めないよ!』と。



さてとで、改めて施設マップを見て、どのようなルートをたどろうか思案。



改めての石舞台。


こちらの石舞台は、能舞台の寸法を基本として設計されているんだとか。利用されている石は、施設を開発する際に出土した石を主に使用しているんだとか。舞台に至る石橋の軸線は、春分・秋分の朝日が昇る軸線に合わせているとのこと。演能は夜明けの前の薄闇に曙の差すころ始まり、後ジテが冥界に帰る頃にその背に朝日を受ける、という構成で舞台は設計されているそうです。




さっきの浮橋を反対側からパノラマで撮ってみた。



生命の樹 石彫大理石レリーフ 12-13世紀 (写真左)
旧約聖書に記載されているエデンの園にあったとされる生命の樹を、大理石のレリーフとして表現されている。ベニスのグランドキャナルに面した商館のファサードにはめ込まれていたんだとか。古代ローマ円形劇場写しの入り口に扁額として掲げてるそうです。



渡月橋礎石 室町時代
嵐山の渡月橋は古くは御幸橋とも呼ばれ、亀山上皇が「隅なき月の渡るに似る」と詠んだことから名づけられたんだとか。昔の橋は今より100mほど上流にあり、1606年に現在の場所に付け替えられた。ここにある礎石は、それ以前のもので、1962年に渡月橋補強工事の際に川床から発見されたとのこと。



再び施設の入り口の方に向かい(その間も、違うアングルと言うことでパチリパチリ忙しなく)。



名月門 室町時代
入り口にあった門を見るために戻って来たのでした。こちらの鬼瓦が、ちょっと愛嬌あって可愛らしく、あまり見たことのないデザインなのでした。


名月門は明月院の正門として室町時代に建てられた。しかし、1923年の関東大震災の時に半壊し、解体保存されていた。その後、個人宅の正門として再建されたが、太平洋戦争の爆撃で被災した際に、この門だけが残ったとのこと。門は移築されて、のちに根津美術館正門として使用された。2006年、根津美術館建て替えの際に、こちらの財団に寄贈されて、解体修理して再建したとのこと。




上にある鬼瓦もパチリ(影になってしまった)。



藤原京 石橋
藤原京は日本初の唐風都城として大化の改新以降の都として作られた。1990年代に発掘調査が進み、東西の京極大路が発見された。こちらの石橋は域内にあった旧家の庭にあったものなんだとか。前の人がスマホをいじりだして、なかなか進んでくれないから、そのままパチリ。



内山永久寺十三重塔 鎌倉時代
内山永久寺は大和の古社で、石上神宮の神宮寺で平安末期に鳥羽天皇の勅願により建立された大寺だった。しかし、明治初年の廃仏毀釈により破壊されて廃寺となってしまった。永久寺からは沢山の名宝が散逸してしまったとのこと。この塔は、近隣の豪族の家に保存されて無事に残ったとのこと。



旧奈良屋門
箱根宮ノ下にあった名旅館「奈良屋」の別邸に至る門。2001年の廃業にともない、箱根町よりこちらの財団に寄贈されたとのこと。



鉄宝塔 鎌倉時代
木造の宝塔を模して鉄で鋳造した宝塔。鋳造した宝塔は、1284年作の「西大寺鉄宝塔」と、1470年作の重要文化財「日光山鉄宝塔」の2例しかないとのこと。



茶室「雨聴天」
全景撮り忘れちゃったけれど、茶室。「雨聴天」は杉本さん直筆のモノなんだとか。天井は蜜柑小屋のトタン屋根を使用して、雨天時の雨音を聴こえるようにしたんだとか。掛け軸にあるのは、「日々是好日」が「日々是口実」に。



茶室には石門と硝子の沓脱石。目隠しの衝立は(写真真ん中の奥にあるもの)、ほうきを並べていましたよ。


茶室「雨聴天」は千利休策と伝えられる「待庵」の本歌取りとして構想された。本歌取りとは古典を引用しつつ新作にその精髄を転化させる手法を言うんだとか。「待庵」は利休の目指した侘茶の一つの完成形と考えられている。

それは2畳室床という極小空間の内に、見事な空間が構成されているからとのこと。当時使われた素材は銘木でもなく、あり合わせの材料であり、壁も質素な土壁だった。そこでは意図的に山居に籠る聖の様な「貧」が演出されていたとのこと。




茶室を出て小道をテクテク、夏至の回廊を見上げる位置へと。空中に浮いている突起物に見えるせいか、宇宙船の先端かのようでした。



反対側からも撮ってみた。



藤棚
みかん道を通って竹林エリアへと。こちらにあるのは、工事現場用の単管を組んで作られた藤棚。本当はもっと違う材質のモノの方がマッチしそうなんだけれども、茶室同様に、ありものの材料で組み立てた、と言う感じかな。でも、テーブル用の石がとてもよさげなモノなのでした。



みかん道をテクテク。途中で、蜜柑運搬用のトロッコを発見。



つづら折りの階段となっていました。



化石窟
昭和30年代の頃に建てられた道具小屋を整備して化石置き場となる化石窟としたんだそうです。外見はそっけないけれど、中には貴重なお宝!



何故なら、ずらりと並んだこれらの化石! 本当、状態の良すぎる化石がずらり。



ん?こちらのケースに入れられた化石は…。



これまた状態良すぎる化石ですよ。こんな化石、なかなか目にすることできないね。どれも貴重なモノなんだろうな。



この小屋だけでも、結構な見ごたえある化石の数々! その量と質に驚いた。



みかん畑らしく、農具の数々が並んでいて、鎌倉お出掛けした際に見かけた玉縄民俗資料館を思い出しちゃったよ。あそこにも沢山の農具が並んでいたなぁ。



石棒 縄文時代後期
石棒は縄文時代後期になると、次第に剣の形になっていって石剣とも呼ばれるようになったんだとか。ただ、剣としての実用性はなく、祭司としての用具と考えられている。こちらの石棒は石剣への移行期のモノなんだとか。硝子の社が作られて祭られてました。



盤座
みかん小屋の裏手には再び石棒が鎮座。こちらは、大木の根元が大雨により土砂流出して現れた際に、古代遺跡の祭礼の場としての気配があるとのことから、盤座として整えて石棒を祭ったんだとか。たしかに、祭礼の場としての雰囲気を醸し出しておりましたよ。



数理模型0010 負の定曲率回転面
数学上の双曲線関数を目に見える様に模型化したんだとか。この数式では、双曲線が無限点で交わるが、実際には無限点までは作ることができないので、先端部を5m迄としたそうだ。



パノラマも撮影してみた。これってば、表参道の茶洒 金田中にも同じものがありますね。あちらは、究竟頂(くっきょうちょう)という作品名で、反対に天井からぶら下がっているけれども。真下に立った時の緊張感がたまらないね。また、金田中に行きたくなっちゃったよ。



五輪塔 鎌倉時代
大分県国東半島の山中には多数の石塔が残っているんだとかで、こちらの五輪塔は中でも大型に部類するものなんだそうです。国東半島からですか~。



片浦稲荷大明神
こちらは後から追加されたものになるのかな(パンフレットに別紙で解説が挿入)。石造り稲荷社は1727年武蔵国、豊嶋郡渋谷村の銘があり、現在の渋谷近辺にあった稲荷社と考えられている。四匹の狐も当時のモノなんだそうな。縁あって譲り受けて、こちらにお祭りしたんだそうな。



社の方にやって来ました。社にある鬼瓦と言うのか、猫っぽい顔つきが可愛い。



さてとで、片浦稲荷大明神を後にして。



道標 二丁信貴山
信貴山の宿坊「千手院」にあった道標で、寛政12年(1800)の銘があるだそうな。



数理模型0004
オンデュロイド:平均曲率が0でない定数となる回転面、と説明ありましたが???ですよ。一緒したトリッシュは、『竹を模しているんじゃないかなぁ』と。『あの凹凸は竹の節を強調しているんだよ』と。なのかなぁと思ったけれど、全然違うみたいだね。



出湯仏 三体 鎌倉時代
新潟県の五十公野山を横断する峠道の造成工事中に出土した石仏群の一部とのこと。



石造狸 明治時代
信楽焼の狸を石で造形したもの。左手に酒を持っているんだとか。



横から、「数理模型0004」をパチリ。気持ち傾いているような感じがしたのだけれど、再びトリッシュが『竹と同じで垂直に立っているわけではないんだよ』と。そういうもんなのかね。



被曝宝塔塔身 南北朝-室町時代
昭和20年(1945)8月6日、広尾島原爆投下時に爆心の地近くにあった石造宝塔の塔身部分。屋根の部分は熱線と放射線により、瞬時に破砕されたと考えられているんだとか。恐ろしや…。



再び化石窟に戻ってきましたよ。外から、窓を通して改めて中をパチリ。



春日社参道
2022年春に、ここへ春日社別宮が御霊分けされるとのこと。その社のための参道が前もって整備されているんだとか。参道右上に据えられている礎石は、奈良時代に建立された和泉国の国分寺跡から出土した礎石なんだとか。



既に建立済みの社向こうに目を転じると、冬至の回廊に立つ人の姿。本日は曇りなのだけれど、青空だったら、もっと綺麗に映っていたかな(曇り空ゆえ、散策は楽でした)。



こちらが春日社の別宮社。海を背景に気持ち良い風を受けるところに建立されてますよ。



こんな感じで、とても気持ち良い所。左奥に見える電波塔(?)が非常に邪魔な存在になっているけれども…。



参道を再びテクテク、やはり向こうに見える回廊が目に入ってくる。



下に目を転じると、さっきの蜜柑小屋。



竹林エリアから、元に戻ってきましたよと。



石舞台のパノラマもパチリ。



足元からもパノラマパチリ。本当はもっと下段から撮影すると、石舞台と水平線が重なって、天空の舞台の様になるみたいだったのだけれど、撮影逃してしまったよ。



夏至の回廊、外側から見る感じもgoodです。



そう言えば、ここを歩いていなかったよと、夏至の回廊上部をテクテク。内部をテクテクするも良いけど、上部をテクテクも良いね!



途中にこんな空間もあり。



そろそろ退出。こちらの浮石もパノラマでもう一度撮っておこう。



このアングルもね(パチリ)。



最初に撮った気もするけれど、夏至の回廊を再び。データの部分ロストが起きるかもしれないし、撮影しておくことに



端っこに来たのでパチリ(しつこくですみません)。端においてある横木も良い感じなので、つい。



と言う訳で、待合棟を改めてパチリ。



待合棟を出て、最初の階段を入れてパノラマ。



再び、地価のトイレ&ロッカーへと。



ところで、こちらの待合棟にあるテーブル。大層なモノと薄々感じていたけれど、樹齢一千年を超える屋久杉だとのこと。上に突き出ている石は、テーブルを支えてもいて、高野山の末寺、大観寺にあった石製の水鉢なんだとか。


ラミネート加工された用紙に書いてあったものの1つが、「頃難に思う」とありました。スタッフの方が『杉本は、そういった言葉遊び的なことが好きなんです』と説明してくれましたよ。最初見て、え?これ?そういうこと?なのかなぁと思ったのだけれど、そういうことでしたか。と言う訳で、ガッツリと施設内を散策して、江之浦測候所を退出するのでした。下調べ不十分で、見逃したものもありそうだけれど、事前情報なしでインスピレーションと出会いを期待しての訪問と言うことで、これもまた良しなのでした。





中途半端に時間が余っているので、近所のカフェを探して、見つけたこちらにやって来てみた。サドルバックなるカフェ。車の往来が少なかったから良かったけれど、そうでなかったら駐車場に車を入れるのが厳しい所であった。



店内こんな感じで、テラスに出ると海も見渡せる。外はちょいと寒いかなと言うことで、店内のテーブル席に着席。



店内はほぼ人がおらず、外のテラス席は人気の状態でしたよ。ちなみに、テラスの方は男女の複数人グループが2組程。楽しそうでありましたわ。





さくっとカフェを終えて、本日のお宿とした星ヶ山 へと。



木造りと、ログハウス的な所と相まって東南アジアのどこかの国に来たみたいであった。



レセプションにて受付手続きをすます。前に一組いたので、別の場所でチェックイン手続き。



チェックイン手続きをすませて、コテージへと。良い感じの外観だったのだけれど、ドアを開けると目の前には和的な暖簾(まぁ、良しとしよう)。



2階へと続く階段。子供だったら、走り回って興奮しちゃいそうな造りだね。



興奮して駆け出しはしなかったけれど、2階へと上がってみた。2階は畳になっていた(しかも、ちょっと傷んでいる…)。う~ん、ここは畳じゃない方が良いね。



各コテージには内風呂と外風呂が設置。こちらは内風呂で、洗面所の奥に。



外風呂があるのでした。既にお湯がはってありましたよ。



なかなかに良いお宿なのだけれども…、しいて言うのならば、ちょいちょいある異質なモノ。


異質なモノ。例えば、写真に写るテレビや、冷蔵庫に金庫と言ったものがこのログハウスに似つかわしくなくてイメージを損ねてしまっている。他にも置いてある小物が残念だったりして、どうにもコンセプトがしっかりしていない。う~ん、残念である。誰かインテリアコーディネーター的な人に、きちんとお願いすることを強く勧めたいのであった。基本は良いものと思っているので、そこが残念なのでした。




晩御飯前に、先ずはお風呂に入ろうと、共同の露天風呂へとやって来た。今の時間、男子風呂は奥にあるねぶ川の湯とのこと。



ねぶ川の湯は、こんなところ。広々しているし、貸し切り状態だったし、気持ち良く汗を流すのでした。



湯上りに立ち寄ってみた、豆相人車鉄道とミニカーハウス。



ミニカーハウス には、建物外にもガラスケースが置かれてミニカーが陳列。



建物内に入ると、こちらも所狭しとびっちり並ぶミニカー!凄い量だね、これは。



こちらは、豆相人車鉄道 なるもの。「まめそうじんしゃてつどう」ですか。なんて読むのかなと、思っちゃったよ。熱海~小田原を人力で4時間かけて走っていたんだってさ。なかなか、体力のいる仕事ですね。



こちらは、お手製?のブランコ。座ってみたら、なかなかに良い揺れ具合。クッションでも置いていたら、眠りに落ちてしまいそうな感じでしたよ。籠の方は家庭菜園かな。



と言う訳で、晩御飯になりました。場所取りで早めに来てみたら、ご飯は、個室になっておりましたよ。


美味しそうな料理が並んだのだけれど、窓側に置かれた人形。ここで、先ほどのあれ?ということに気付いた。なんだかぶれてしまっている、お宿のコンセプト。置物となる人形とかがあると、空いているスペースに置いてしまっているんだろうねと(もしくは、製作教室とかで作った人形?)。せっかくだから置いてしまおうと考えてしまうところが、ほんにもったいないのでした。コンセプトさえしっかりして、それをぶれさせなければ、数倍魅力的な宿になるんだけどな~と。さて、それはさておき、肝心の料理はお世辞抜きで美味しなのでした。




程良い味付けで、濃過ぎず、薄過ぎず、絶妙な味付けで、ほんに美味しい料理。蒟蒻やタケノコも美味しかったなぁ。中写真のカボチャ饅頭に、右写真のサゴシのオーブン焼きも美味し。



お次で出てきたのは、やまゆりポークとふきのとうのべにえ。で、ご飯とお味噌汁も出てきた。味噌汁の出汁も美味いのでした。



最後に出てきた、桜シフォンにもやられてしまった。桜の香りに塩っ気が、シフォンケーキと絶妙にマッチ。これ、美味し!でした。


しかし、ここでも残念なことが…。こちらの絶品シフォンケーキには、食事コースで珈琲が用意されておらず、食事中に出されたほうじ茶と一緒に食してくださいとのこと。ほうじ茶と食べ合わせるのは、イマイチのため、別料金の珈琲を頼むのでした。う~ん、ここは珈琲もセットで出してあげましょうよと、思うのでした。なんか、こういうちょっとしたところが、あれ?な感じのお宿で、ある意味微笑ましいというのか、家族経営的なレベルになってしまっている感じなのでした。