江之浦測候所+岡田美術館+ルネラリック美術館(April-2021):江之浦測候所編 |
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パンはどれも美味しく、さすがトシヨロイヅカ、やりますな。幸せランチパンなのでした。ところで、お店にいたバイトの女の子たちが気になるのでした。と言うのは、何人も居たバイトの子が、パンを買ったときに温めるか否かの確認もせず、そのまま出して来ようとしたこと。いやいや、とりあえず温めるかを確認しようよと、手持ち無沙汰しているのに…、と思うのでした。 食後にソフトクリームを食したかったのだけれど、道の混雑っぷりも分からないしで、早めに退出。一夜城も見ずに、ヨロイズカファームのパンを食べただけで退出するのでした。他にもやらなければならないことを思い出して、寄る所ができたので…。そう、チケット印刷するのを忘れていたのである。 |
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ちなみに、こちらの事前予約は車での訪問 or 送迎バスのいずれかを選ぶことができる。江之浦測候所の駐車場に送迎車が2台あったけれど、人数に応じて使い分けるのかな。今回、自分は車での訪問タイプチケットを購入なのでした(確か料金は変わらず)。 |
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さてとで、帰宅して記事まとめで調べた江之浦測候所の成り立ちと言うかコンセプトを知った次第(事前学習おろそかにしてごめんなさい)。設計はもちろん杉本博司。 江之浦測候所の各施設は、美術品鑑賞の為のギャラリー棟、石舞台、光学硝子舞台、茶室、庭園、門、待合棟などから構成される。また財団の各建築物は、我が国の建築様式、及び工法の、各時代の特徴を取り入れてそれを再現し、日本建築史を通観するものとして機能する。よって現在では継承が困難になりつつある伝統工法をここに再現し、将来に伝える使命を、この建築群は有する。 建築群に使用される素材は、近隣で得られる素材を中心に使用するものとし、擁壁、造園等に使用される石材は根府川石、小松石等を使用する。造園の為の景石には、平成21年度の広域農道整備事業に伴い、近隣の早川石丁場群跡から出土した江戸城石垣用の原石を使用する。随所には、古代から近代までの建築遺構から収集された貴重な考古遺産が配されている。 |
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この回廊には全て水平線の写真が展示してあって、最初にキャプションで展示している写真の撮影場所が掲載されてました。覚えられませんわ~とパチリ。手前から順番に下記のとおりとなっていましたよ。こちらの回廊を真っすぐ進むと海に出て水平線が望めることから、回廊の写真も水平線なんだね(そう言えばで、展示の写真は撮影しておらず)。 1. カリブ海、ジャマイカ(1980) 2. リグリア海、サビオレ(1993) 3. スペリオール湖、カスケード川(1995) 4. ボーデン湖、ユトビル(1993) 5. エーゲ海、ピリオン(1990) 6. ティレニア海、コンカ(1994) 7. 日本海、隠岐(1987) そして、今知ったところによると、海抜100m地点に、100mの回廊を作ったんだとか。片側のガラスは柱の支えなしに37枚自立しているんだとか。ほえぇ~ですよ。石の方は(思ったとおり)、大谷石を使用していて、自然剥離肌の加工なんだとか。そして、ガラスが自立と言うことで、屋根は片持ち形式なんだとか。な、なんだか凄かったんですね。とりあえず、大谷石の採石場も行ったなぁ(2006年6月) 。 |
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当時は一年の終点でありまた起点であると解説書にあり。こちらの隧道(「ずいどう」←読めんかったよ)が発端となって、こちらの江之浦測候所の建立を思い立ったんだとか。冬至に登る太陽はこちらの70mある隧道を通って、端に置かれた巨石を照らし出すんだとか。 |
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井戸は中世(室町時代)のモノと考えられているんだとか。井戸枠の中に、光学硝子破片を敷き詰められている。雨天時には、雨粒が一滴一滴と井戸に降り注ぐんだとか。 |
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釘を使用せずにガラスの板をはめ込んでいるので、台風なんかの時には取り外して退避しているんだってさ。こちらの舞台を実際に使うこともあるらしいのだけれど、ガラス材質で雨が降った際には滑ってしまうことから天候に左右されることもあって、あまり使用頻度は高くないんだとか(あらま)。 |
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こちらの石舞台は、能舞台の寸法を基本として設計されているんだとか。利用されている石は、施設を開発する際に出土した石を主に使用しているんだとか。舞台に至る石橋の軸線は、春分・秋分の朝日が昇る軸線に合わせているとのこと。演能は夜明けの前の薄闇に曙の差すころ始まり、後ジテが冥界に帰る頃にその背に朝日を受ける、という構成で舞台は設計されているそうです。 |
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名月門は明月院の正門として室町時代に建てられた。しかし、1923年の関東大震災の時に半壊し、解体保存されていた。その後、個人宅の正門として再建されたが、太平洋戦争の爆撃で被災した際に、この門だけが残ったとのこと。門は移築されて、のちに根津美術館正門として使用された。2006年、根津美術館建て替えの際に、こちらの財団に寄贈されて、解体修理して再建したとのこと。 |
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茶室「雨聴天」は千利休策と伝えられる「待庵」の本歌取りとして構想された。本歌取りとは古典を引用しつつ新作にその精髄を転化させる手法を言うんだとか。「待庵」は利休の目指した侘茶の一つの完成形と考えられている。 それは2畳室床という極小空間の内に、見事な空間が構成されているからとのこと。当時使われた素材は銘木でもなく、あり合わせの材料であり、壁も質素な土壁だった。そこでは意図的に山居に籠る聖の様な「貧」が演出されていたとのこと。 |
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ラミネート加工された用紙に書いてあったものの1つが、「頃難に思う」とありました。スタッフの方が『杉本は、そういった言葉遊び的なことが好きなんです』と説明してくれましたよ。最初見て、え?これ?そういうこと?なのかなぁと思ったのだけれど、そういうことでしたか。と言う訳で、ガッツリと施設内を散策して、江之浦測候所を退出するのでした。下調べ不十分で、見逃したものもありそうだけれど、事前情報なしでインスピレーションと出会いを期待しての訪問と言うことで、これもまた良しなのでした。 |
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異質なモノ。例えば、写真に写るテレビや、冷蔵庫に金庫と言ったものがこのログハウスに似つかわしくなくてイメージを損ねてしまっている。他にも置いてある小物が残念だったりして、どうにもコンセプトがしっかりしていない。う~ん、残念である。誰かインテリアコーディネーター的な人に、きちんとお願いすることを強く勧めたいのであった。基本は良いものと思っているので、そこが残念なのでした。 |
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美味しそうな料理が並んだのだけれど、窓側に置かれた人形。ここで、先ほどのあれ?ということに気付いた。なんだかぶれてしまっている、お宿のコンセプト。置物となる人形とかがあると、空いているスペースに置いてしまっているんだろうねと(もしくは、製作教室とかで作った人形?)。せっかくだから置いてしまおうと考えてしまうところが、ほんにもったいないのでした。コンセプトさえしっかりして、それをぶれさせなければ、数倍魅力的な宿になるんだけどな~と。さて、それはさておき、肝心の料理はお世辞抜きで美味しなのでした。 |
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しかし、ここでも残念なことが…。こちらの絶品シフォンケーキには、食事コースで珈琲が用意されておらず、食事中に出されたほうじ茶と一緒に食してくださいとのこと。ほうじ茶と食べ合わせるのは、イマイチのため、別料金の珈琲を頼むのでした。う~ん、ここは珈琲もセットで出してあげましょうよと、思うのでした。なんか、こういうちょっとしたところが、あれ?な感じのお宿で、ある意味微笑ましいというのか、家族経営的なレベルになってしまっている感じなのでした。 |